インテルコンチネンタル・ホテルでパナソニック社長の交替レショプション

最初にパナソニック、ラテンアメリカ統括CEOの宇治英次氏が挨拶、3月11日の未曾有な震災の被災者に対するお見舞いの言葉を述べた後に、時節柄、社長交替のレショプションは質素に執り行う事にしたと前置き新旧社長の略歴を紹介した。

会場にはパナソニックのアドバイザーであるフルラン元開発商工大臣やウンベルト電気電子工業界(ABINEE)会長ほか日系主要団体会長、新聞社社主、来賓等また同社の顧客・代理店に加え大勢の会議所会員が参加した。篠原一宇同社副社長(現エレトロス会長)も式次第の一部を担った。

本社のロジ部門に転勤が決まっている松田雅信社長は2005年7月着任以来 、販売店、常任理事役職にあった会議所、日系諸団体や新聞社など多くの団体から多大な協力を受けた事に対し、丁寧にお礼を述べながら1908年から始まったブラジル日本移民の歴史に触れ、延約25万人の移民が核となって日本文化を定着させ、日系150万人に継承されている歴史を回顧、ブラジル・パナソニックが1967年に進出を果たして以来、事業を継続し43年の今日があるのは、
特に日系人のお陰があったと敬意を表明した。

松田社長は1980年代の入社早々ブラジルに研修生として渡伯の経験を持ち 、2005年の着任は2度目であったが、ビジネスとしてだけでなくブラジル国に貢献したい熱い思いで赴任したと当時を振り返った。

日伯間には20年間に亘る大変苦しい時代を経験、その空白を如何に取り戻すかデジタルや白物家電の展開を例に、本社をその気にさせる為には5年の歳月を要したと、苦労エピソードを感慨深く語った。唯一販売店の全てを回り切れなかったのが残念であったとしながら後任に託する他、今後は積極的に新製品の導入を図って貰いたいと申し送った。

5月1日付けで就任する奥村正人新社長は1980年に入社、本社、テレビ部門、白物部門を経て直近では海外部門の中南米本部で宇治本部長とともに働いてきた。今回が初めての海外勤務となる新鮮な面持ちの中にも、同社の操業43年を反省、新興国のリーダーであるブラジルにおいて成功しているとは言い難いと謙虚な冒頭挨拶。

日本移民から103年の歴史の中で日本人或いは日本に対する信頼関係の絆で結ばれたブラジルの中で前任者の功績をしっかり引き継ぎ、今後、全グループを挙げてパナソニックの事業を更に拡大したいと抱負を述べた。

新旧社長の交替レショプションを利用、松田社長は日系コロニア社会をはじめブラジル人を対象に病院経営をはじめ高齢者の福祉活動に尽力を注いでいるサンパウロ日伯援護協会(森口忠義会長)およびブラジルの知的障害(精神遅滞)者協会”Associação Carpe Diem”(ロゼリオ・アマト会長)の社会的貢献に対し冷蔵庫とテレビの贈呈式を行った。

4月12日、新旧社長交替挨拶のためわざわざ会議所を訪問、平田事務局長は2006年以降、会議所三役を担い、会議所運営70年来の大改革に最も寄与された松田副会頭に対し深々とお礼、またパナソニックが昨年ご提供下さった冷蔵庫や電子レンジをいつまでも大事に使い、ご恩は決して忘れないと職員一同と伴に別れを惜しんだ。

 

左からパナソニックの奥村正人新社長/帰国する松田雅信社長/平田藤義事務局長/篠原一宇副社長

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