相互啓発委員会主催のカシャーサセミナー

相互啓発委員会主催のカシャーサセミナーが8月16日午後4時から会場一杯の69人が参加して開催、試飲では3種類のカシャーサを飲み比べていた

相互啓発委員会(寺本久男委員長)主催のカシャーサセミナーが8月16日午後4時から、商工会議所会議室に69人が参加、初めに寺本委員長が講師であるカシャーサチェーン網アグアドーセ社のデルフィノ・ゴルフェット社長を紹介して始まった。通訳はアルベルト鈴木さんが見事な通訳振りを披露した。

ゴルフェット社長は製糖工場で長らく技師長として働いていたが、一般にカシャーサのイメージは安くて粗悪品も多く、飲み方を知らない重労働者が飲んでいたので、ブラジルを代表するこれほど洗練された飲み物を一般の人に飲んでもらいたいと思い、色々な種類のカシャーサ、多種多様なカクテルなど新しいスタイルの本物のカシャーサを提供する店名がアグアドーセというカシャサリアを16年前に、サンパウロから 527キロメートル離れたツパン市に開店したが、開店当時は正気の沙汰ではないと言われた。

通訳の鈴木さんがカシャーサの歴史の推移がプリントされたポスターを示しながら説明、
16世紀の初頭にアフリカから連れてこられた奴隷は、砂糖キビを煮詰めるほど甘くなり、辛い労働や故郷の郷愁を忘れるために舐めていた。また野放し飼いされた豚はカシャーソと呼ばれていたが肉質が固いために、砂糖キビの汁を煮詰めた液を豚肉の煮込み料理に使うと柔らかくなり、これが語源となってカシャーサと呼ばれるようになった。

16世紀中頃には土製の蒸留器、その後は銅製の蒸留器となったが、カシャーサの別名ピンガは蒸留器から雫が落ちる状態をピンガーヴァといい、これが語源になっている。17世紀には入ると消費者も増え始めて生産量も増加して商品価値が出てきて換金出来ようになった。

1635年には宗主国ポルトガル政府は、カシャーサの消費増加でブドウ粕から作られるバガセイラと呼ばれる蒸留酒の価値が低下したために、カシャーサの製造およびブラジルコロニアでの消費を禁止した。その後17世紀中頃、カシャーサ製造を禁止されたブラジルではナショナリズムが起こり、ポルトガル産ワインのボイコットが始まった。

17世紀末にはカシャーサの消費は認めるも、生産者には税金をかけ始めたが、1755年に発生したリスボン大震災では復興の大いに役立った。1789年に同志の裏切りから革命に失敗したチラデンテスは絞首刑にかけられる前に残した最後の言葉が「私の喉を故郷のカシャーサで潤してくれ」であったと言われている。

19世紀初頭には、蒸留技術も飛躍したために王室でも消費されるようになり、生姜を入れて温めたものをケントンと呼ばれるようになった。19世紀後半の奴隷解放後、カシャーサの人気が低下した。

1922年にはモダンアート週間で再び人気が出てきた。20世紀後半に芸術家の間で居酒屋(ボテキン)での飲料が流行、またブラジルの代表する酒として国際便やエヴェントなどで利用されるようになった。フランスはカシャーサをブランド登録しようとしたしたが失敗した。

21世紀にはフェジョアーダやサッカーと同様にブラジルを代表するブランドとなり、ドイツではカイピリーニャは、スコッチウイスキーよりも多く消費されており、13億リットルに達しているが、輸出量の0.40%に過ぎない。ブラジルでは45万人以上がカシャーサ生産工業に従事している。

ゴルフェット社長は、ミナスでは訪問客をもてなすために、少量のアランビーケを樽に入れて熟成させるが、2年以上熟成させる必要はないと強調した。また砂糖キビの品質、製造方法、最適な気候や土壌、美味しいカシャーサの選び方などを説明した。またサンパウロ市のアグアドーセチェーン網責任者ヴェンデール氏は美味しいカシャーサの選び方について補足した。

ゴルフェット社長は、ブラジル全土にカシャーサメーカーは5,000社ほどあるが、チェーン店では 200種類の良質のカシャーサを提供しており、毎年80社から100社が委託販売を希望してくる。カシャーサの選び方のコツは味覚が大きく左右し、自分の口に合ったものを選ぶこと。また2年おきにカシャーサオリンピックを開催して,選ばれたカシャーサがチェーン網で販売されるが、意識不明になるぐらいの種類を利き酒するので、これは本当に辛いと笑いを誘っていた。

カシャーサの原料の砂糖キビの刈り取りでは、アランビーケ用は砂糖キビ畑に火を入れないために、労働者が手で刈り取っており、刈り取った後は2日以内に絞り汁を作らなければならないために、製造量が限られるうえに人件費が高いために、値段が高くなると付け加えた。土壌作り、運搬、蒸留方法工程,アグアドーセの店内、料理、カクテル、カシャーサ博物館などをDVDで紹介、90年からミナス料理を提供、フランチャイズ店は90店舗以上になり、年間600万人が利用していると説明した。

質疑応答では砂糖用およびカシャーサ用の砂糖キビの種類の違い、アーグアデンテとカシャーサの違い、ピンガとカシャーサの違い、酒樽の材質などについて質問された。
4階に設けられた試飲会場に移る前に、寺本委員長からゴルフェット社長に記念のプレートが贈られた。

試飲会場に移った参加者は、用意された2年、5年および15年間熟成されたカシャーサやカイピリーニャを片手に利き酒をしたり、ゴルフェット社長を囲んでカシャーサのウンチクに耳を傾けて大変楽しいセミナーとなった。

フォトギャラリー

https://camaradojapao.org.br/jp/?p=33698