沿革

 1926年、日系雑貨輸入商8社が、同業者の親睦を深くし、商売上の軋轢を防ぎ協力して商業の発展に尽力しようとの主旨のもとに、商工組合を設立した。

 その後、日伯通商貿易の進展と平行して組合も次第に強固となって来たが、1935年訪伯経済使節平生釟三郎氏一行の来伯を機会に、各会社の積極的な参加を得て、組合員も30数社にのぼり、懸案の会報も発行出来るようになった。

 1935年を劃期として進展した日伯貿易の拡大について、機構を強化する必要に迫られ商業会議所の設立準備に着手し、1940年5月29日附官報でその設立が公表された。

 初代会頭は蜂谷専一氏であった。会議所設立当時の会員数は約40社、翌年5月にはその数約80社となり会議所の今後の発展と活躍が大いに期待されたが、1941年12月、日本の枢軸国側への参戦により、その活動が中断された。

 戦後、会議所再開の要望が高まり、設立委員長宮坂国人氏の尽力により、1951年5月再開され、同氏が初代会頭に就任した。1954年に、第二次世界大戦後で最初にブラジルに進出した富士銀行が1954年に南米銀行に資本参加、富士銀行に続いて三菱商事、トーメン、ニチメン(2003年4月に日商岩井と合併して双日に)、三井物産など大企業がブラジルに進出、繊維製造業では東洋紡、カネボウ、クラシキ(繊維)、機械金属ではヤンマーや久保田鉄工が進出。

 1950年代末には日伯合同大型プロジェクトのウジミナス製鉄所建設と造船の石川島播磨を初め、この時期は日伯大型プロジェクトがブラジルで開始され毎年5~6つのペースで大工場が国内に建設され、1960年代からは日伯貿易が拡大して経済ミッション交流が盛んになり、1954年には「ブラジル日本商工会議所」と正式名称となり、1964年には日本からの海外渡航が自由化され、第一次石油ショックまで日本企業のブラジル進出ブームが継続した。

 1964年のカステロ・ブランコ革命政権誕生で、国家大プロジェクトとインフラストラクチャーの拡大が経済成長を加速、1968年~1975年の間には200以上の日本進出企業が中央銀行に登録された。この日伯関係が良好な1967年にブラジルと日本の間で二重課税防止協定、1971年には「技術共同協定」が交わされた。

 1970年半ばからおよそ10年間は 国家の財政危機、民主主義への変換期、再度の石油ショック危機、慢性インフレや輸入制限など日本進出企業を初めとして海外からの投資が大幅に減少、多くの日本企業は撤退を余儀なくされたが、日本はウジミナスを初め、紙・パルプ製造のセニブラ(1974)、アルミ精錬のアルブラス(1977)、CST製鉄(1976)、カラジャス鉄鉱山開発(1982)、半乾燥地域セラードの農業開発プロジェクト(1978)などで多大な貢献をした。

 21世紀に入り、日本企業ブラジル進出第3次ブーム予想日本はブラジルとの貿易や文化面交流に期待しており、80年代から90年代にかけて停滞していたが、2004年9月の小泉純一郎首相のブラジル訪問、2005年5月のルーラ大統領の日本訪問をきっかけに大きな潜在ポテンシャルのブラジル進出ブームの再活性化のうねりが感じられるようになってきた。

 2006年は大使館主導による下院の外交防衛委員会とブラジリアに於いて公開討論を行った事やブラジルのデジタルTV方式を両国政府と日本企業(本社/現地)が官民一体で欧州/米国勢を排し日本方式に採用決定、また経団連/日本貿易会/海外企業協会からの要請に応え社会保障二重払い防止協定締結に向けアンケートへの協力の他、現在進められているGIE(主要会議所で構成する外国投資家グループ)と連携、次期政権に対する移転価格税制の改善要請などが特筆事項として挙げられる。

 2007年は公的な団体としての役割を果たす事を今年度の基本方針に盛込み両国政府への要請や意見交換を目的にGIE、APEX、CNIほか他の企業団体や大使館、総領事館などと連携・関係強化、30数年振りの事務局全面改装工事、サイトの内容の充実化とレイアウトを変更、アクセスの容易化を図った結果、アクセス数が飛躍的に増加、会議所パンフレットを全世界の日本商工会議所へ送付、進出企業の会員数が増えて、2004 年のボトム141 社が2007 年12 月現在153 社、2002 年のレベルになる。

 2008年はブラジル日本移民100周年記念で、両国の政府要人や経済関連交流が新しい局面に突入、両国またはメルコスル間のFTA締結も予想、甘利経済産業大臣は、ミゲル・ジョルジ開発商工大臣と「日伯貿易投資促進合同委員会」の設置に合意、産業界からのビジネス環境上の問題に関し、伯政府に対して問題提起し、率直に議論するための対話の場であり、開催方法は両省庁の次官級(経済産業省は経済産業審議官、開発商工省は事務次官)をヘッドとするメンバーで構成、年間2回、ブラジル並びに日本で交互に開催する。

 2009年は貿易投資促進合同委員会会合や新幹線導入プロジェクト、経済産業省通商政策局幹部と会議所幹部の意見交換会、第23回貿易会議、国土交通省主催のサンパウロ都市交通・都市整備セミナー、大阪・サンパウロ姉妹都市提携40周年記念式典ミッションの受け入れ、日伯方式デジタルTV 関連の中南米普及デモなど両国政府或いは中南米諸国の国々を巻き込み官民連携で取組んだ年であった。

 2010年の特筆すべき事項として移転価格税制暫定法(MP478号)への対応に追われた年、日伯経済交流促進に加速度の年、会議所70周年を契機に会議所運営における抜本的改革の年、70周年記録集編纂の年、社会的貢献の年の会議所5大事業を挙げる事が出来る。

歴代会頭
初代会頭 蜂谷専一氏 (蜂谷商会) 1940年10月~1941年12月
二代会頭 宮坂国人氏 (南米銀行) 1951年5月~1952年4月
三代会頭 羽瀬作良氏 (羽瀬商会) 1952年5月~1955年4月
四代会頭 蜂谷専一氏 (蜂谷商会) 1955年5月~1965年4月
五代会頭 広川郁三氏 (兼松江商) 1965年5月~1979年3月
六代会頭 橘富士雄氏 (南米銀行) 1979年4月~1985年3月
七代会頭 別役道昌氏 (鐘紡ブラジル) 1985年4月~1989年3月
八代会頭 後藤 隆氏 (ヤンマーブラジル) 1989年4月~1993年3月
九代会頭 伝田耕平氏 (南米銀行) 1993年4月~1997年1月
十代会頭 須賀禎之氏 (三菱商事) 1997年1月~1998年5月
十一代会頭 新名 浩氏 (丸紅) 1998年5月~1998年12月
十二代会頭 三好幸彦氏   (ブラジル東京三菱銀行) 1999年1月~2000年4月
十三代会頭 貞方賢彦氏 (ヤクルト) 2000年5月~2001年12月
十四代会頭 工藤 章氏 (三菱商事) 2002年1月~2002年12月
十五代会頭 田中 信氏 (リベルコン ビジネス) 2003年1月~2009年12月
十六代会頭 中山立夫氏 (三井物産) 2010年1月~2011年3月
十七代会頭 近藤正樹氏 (三菱商事) 2011年4月~2013年3月
十八代会頭 藤井晋介氏 (三井物産) 2013年4月~2015年1月
十九代会頭 村田俊典氏  (三菱東京UFJ銀行) 2015年2月~2016年8月
二十代会頭 松永愛一郎氏(三菱商事) 2016年9月~2017年12月
二十一代会頭 土屋信司 (三井物産) 2018年1月~2019年3月
二十二代会頭 村田俊典氏(双日) 2019年4月~

会議所70年記録集