2012年7月24日、サンパウロ市内ホテルで日立ブラジル(岩山敏郎社長)が『HITACHI + BRASIL』を開催、会議所から近藤正樹会頭と平田藤義事務局長が出席した。
同イベントには株式会社日立製作所本社より中西宏明執行役社長、米国より八丁地隆日立アメリカ会長/米州グループ会長も駆けつけ、今後のビジネスのグローバル展開についてプレゼンなどが行われ、またレセプションには多数 のクライアント、当所会員企業が参加、HITACHIブラジル社員を含む約350名が参集し盛大に執り行われた。
HITACHI + BRASILは参加者が最も興味ありそうなテーマ「Bem-estar social(社会福祉)とIT」、「スマート・シティー」(※1)の2つを予め設定、別々の会場でセミナーを開いた。いずれの会場も超満員で大盛況。セミナーの後に岩山社長が歓迎の挨拶を行いTVグローボ局の著名なミリアン・レイトン政治・経済評論家がブラジル経済の巨大なポテンシャルと展望と題して講演(※2)。
セミナーに続いて中西社長から日立グループのブラジルにおけるビジネス戦略の展望と題しコーポレイト・データ、グローバル・オペレイション、日立のグローバル拡大戦略(新グローバル化推進計画)、社会イノベーション事業、最重要11カ国を挙げ、日立ブラジルの経緯についても説明した。(1940年に設立、現在グループとして10社体制、従業員1026人)日立ブラジルの戦略として2015年度までに3億ドルを投資、現在の3.7億ドルの売り上げを2015年度には15億ドルに伸ばす為、現地化を進めフォーカス事業として、鉄道システム、電力システム、情報・通信システム、社会インフラシステムを中心とした社会イノベーション事業をさらに推進し、空調機器、貯蔵、輸送、電力、オイル&ガス、自動車部品、ATM、セキュリティー・モジュール・ビジネス等々を挙げ、最後に統合された企業ビジョンで日立クラウド・ソリューションを提供すると結んだ。
レショプションの会場ではサンパウロ総領事館の小林雅彦首席領事が日立グループのグローバル事業展開に敬意を表明、日本企業にとってブラジルは民主主義が定着、世界最大150万人の日系人社会、政治・経済的にも安定し、最もビジネス環境が整っていると今後の成功に期待を込めスピーチ、続いて八丁地日立アメリカ会長が日立ブラジルの益々の発展を祈念し乾杯の音頭を執った。
(FOTO: HITACHI BRASIL)
(※1)スマート・シティーのセッションではインフラ・システム・ビジネスのコンセプト、生活や暮らしを支えるITを基盤にしたナショナル・インフラ、社会インフラ、生活インフラ、都市マネジメント・インフラおよびエネルギー、水、オイル&ガス・ソリューション等またスマート・グリッドとスマート・シティーの違いなどを説明。
(※2)TVグローボに所属、政治・経済評論家として第一人者のミリアン・レイトンがブラジル経済の巨大なポテンシャルと展望と題して講演。同氏は第一声にヨーロッパは金融危機の真只中で低成長、予想を下回る成長率でリーマン危機の後遺症を引きずる米国、民主化の動きの中で減速経済下の中国の3地域をブラジルと比較した上で、今年行われる全国市長選挙の結果は何等ブラジルのマクロ経済に影響を与えないと太鼓判を押した。
米国の衰退と中国の台頭、ブラジルとの貿易相手国(米国と中国が逆転)、貿易収支の推移を説明しながら色々な問題に直面してきたブラジルではあるが、民主化が定着、安定かつ堅固になった経済、貧困撲滅にも成功し経済環境は極めて良い。今また新たなチャレンジが始まっている等々と自信を表明。昨年に比較して低成長下であっても雇用は維持されている。過去12カ月の広範囲消費者物価指数(IPCA)は2011年9月7.31%に対し012年6月4.92%、レアル/米ドルの為替は09年1月R$2.5に比べ012年6月R$2.0、政策誘導金利(SELIC)は011年7月の12.5%に対し012年7月現在8%の年利、対GDP比の貸付クレジットは010年の44.4%から今年3月に49.3%で問題視するレベルではない。
雇用、GDP、税金(GDP比34.8%)、空港のセキュリテー、都市交通、IT、インフラ投資、電力コスト、太陽光や風力発電のポテンシャル、豊富な淡水、生物多様性、人口動態と貧困対策等々を駆け足に説明した後、過去辿ったインフレ(IPCA)をグラフ化(注釈)、1940年から90年代までの特に79年後半以降の経済史に焦点をあててブラジルの悲劇を回顧、レアルプラン以降はじめてハイパーインフレを克服、激動の歴史を現在と比較証明する事で講演を終了。
(注釈)
1960~70年代のブラジルの奇跡、1979年第2次オイルショック以降から採られた度重なる一連の各種経済対処療法ショックプラン:79年12月第1次Max切り下げ別名デルフィンネット・ショック、83年2月同2次ショック、85年に軍政から民政へ移管、86年2月クルザード・プラン、87年6月ブレッセル・プラン、89年1月夏プラン、90年3月の第1次コロール・プラン、91年1月同2次プラン、92年12月大統領弾劾辞任、94年7月レアルプラン、直後の金融危機、恐ろしい天文学的累積インフレ:13,342,346,717,617%。