紅いコーヒーの実と「ハルとナツ」-秋日和の東山農場を見学して
赤嶺 園子
<はじめに>
カンピーナス市郊外にある東山農場(有)へのピックニックがブラジル日本商工会議所のコンサルタント部会(桜井悌司部会長)主催で、好天に恵まれた秋日和の 6月5日、3台の大型バスを連ねて行われた。朝の挨拶を気持ち良く交わす嬉々とした顔と顔、第一回目のこの企画には子供たちも含めて総勢139人が参加してとても賑わいました。サンパウロを午前8時半に出発し10時半に目的地に到着、岩崎透社長をはじめ従業員の皆さんの歓迎を受け、コーヒーとお水が振舞われ見学開始となりました。
最初に篩(ふるい)にかけてコーヒー豆を選別する作業のお手本を見せて貰い、続いて今年10月からNHK開局 80周年を記念して放映される「ハルとナツー届かなかった手紙」のロケセットを見学させて貰いました。貧しく苦しかった初期移民の生活の現場を綿密に再現した移民小屋をつぶさに見て、脳裏を過ぎるさまざまな追憶、艱難辛苦を凌駕して築き上げた今日の繁栄、先達の苦悩の跡が偲ばれるひとこまでした。
<実りのコーヒー園を見る>
苗床で半年培われた苗木は耕作地に移され、そこで2年半の歳月を費やして実を付けると言います。豊穣を祈る心が通じたのか、黄、赤、青、黒と色とりどりのの小粒な実が鈴生りになっていました。可愛らしい真っ赤な果実を試食してみると、意外にも何と仄かな甘さが快く口一杯に広がり白く軟らかい果肉に包まれた種子が二粒出てきました。
コーヒーの歴史は1400年代、アフリカのエチオピアを嚆矢としています。牧場の羊や山羊がコーヒーの実を食むと元気が出ることに気付いた羊飼いがそれを真似て食べたことに始まります。最初粉末にし、ジャムを作って食していたようです。現在のように、飲料として利用したのはアラビア人だと言われています。コーヒーは東洋から西洋へと航海士らによって運ばれ、世界中に伝播し愛飲されています。
ブラジルにコーヒーの種子が入ったのは、1727年のことで、パラー州ベレンのフランシスコ デ メーロ パリエッタ曹長が仏領ギアナの知事夫人から少量の種のプレゼントを受け、それを撒き付けて育てました。19世紀になっでブラジルが本格的なコーヒーの栽培が手掛けられるようになり、20世紀の前半には、世界の消費市場の70%のシェアーを占めるほどのコーヒー大国となりました。
ブラジルのコーヒーの品種は、アラビア種で、インドやエチオピアはロブスタ種、カネフォラコーヒーだと言われています。コーヒーの輸出積出港として発展し、日本人移民が1908年に最初に上陸した港町サントスの地名は、アルベルト サントス ドゥモントに由来するもので、ブラジルの航空術の先駆者で、コーヒーの栽培王としても有名だった彼を称えるために命名されたと伝えられています。
<センザーラ(奴隷小屋)>の憂愁
仕切り板一枚もない長屋に100余の奴隷が収容され、人員を点呼して確認するために、腰を屈めてなければ出入りすることの出来ない戸口、病に冒されても臥床を許されなかった者や妊婦の大腿部で型を取り、作ったという大きさの異なる瓦が昔年を語るにとどめていました。同じ人間として生を受けながら、牛馬の如く酷使され、悲傷に喘ぎ、怨恨を抱き、遺恨を晴らすことなく黄泉へと旅立った奴隷たちの魂魄(こんぱく)は、彷徨することなく、安らかな眠りに就くことが出来たでしょうか。
ブラジルが発見されたのは、1500年です。当時パーウ ブラジル(蘇芳の木)の栽培や農業にインジオを使役していましたが、農業が不得手なために、 1530年、奴隷制度が導入されています。奴隷制度の廃止は、1888年5月13日、レイ アウレア(黄金法)によって実現されました。北米の1865年から23年後ということになります。
昼食後、子供たちと遊ぶ機会を持って、敬語を正確に話していることに感心させられ、羨望のまなざしをを向けながら、一緒に会話を楽しんでいました。「言魂の幸う国」の子供たちが自国の文化を大切にし、綺麗な言葉で社会生活を潤し、人間関係を育んでいる様子を目のあたりにし、それは聞いていて嬉しく、見ていて微笑ましい良い光景でした。
<日伯文化の相違点>
日本人は、お客様を歓待する時、挨拶を済ませると、茶菓やコーヒーを出してもてなしますが、ブラジルでのコーヒーは最後、帰宅の際に供します。コーヒーは暗に「お開きです」、「お引き取り下さい」ということなのです。同じように、心のこもったコーヒーでも、最初に出されて戸惑うブラジル人、作り立てを喜ぶ日本人、文化の優劣を云々するつもりは、毛頭ありませんが、習慣の違いを理解しておくのも良いことだと思います。気持ちの良い秋の季節のさわやかな空気を満喫、新鮮な野菜と美味しいキャッサバを沢山賞味させていただいたとても楽しい一日でした。
この素晴らしい企画を実行に移して下さった商工会議所のコンサルタント部の桜井悌司部会長をはじめとする関係者の皆様方に心から「ムイト オブリガード」とお礼を申上げ、次回も楽しみに致しております。