5月の懇談昼食会で元関取の若東関が「我が相撲人生と角界」と題して講演した

商工会議所の懇親昼食会が5月10日にグラン・ハイアットホテルに92人が参加して開催、ブラジルから日本の相撲界に入門して、苦節10年歯を食いしばって、関取と呼ばれる十両まで上り詰めた元関取の若東関が「我が相撲人生と角界」と題して講演した。

1976年サンパウロ生まれの若東関の黒田吉信氏の父親は相撲が大好きで、角界入りを熱望していたが、体格的に力士にはむいておらず、力士になるのを諦めブラジル移住、子供達に相撲を教えていたが、私は父親の影響で4歳のときからしこを踏んでいた。

15歳のときに相撲の名門校明大中野中学の一行が、ブラジルに来て一緒に練習する機会があり、そのなかの志賀太祐少年(後の栃東関)に勝ったために、玉の井部屋にも体の小さい力士がたくさんいるからと勧誘され、また志賀少年からも一緒に角界入りしようと誘われ、父親の夢の実現と自分の力試しに入門した。

しかし玉の井部屋に入門してみると、聞くと見るとは大違いで体の大きい力士ばっかりで不安になり、しかも志賀少年は高校に進学しなければならず、話が違うと思ったが後の祭りとなった。また部屋の女将さんが親方に、行司になる子が入門したのと親方に尋ねていることを聞いたので、更に不安が募った。

背が低くて新弟子検査に引っかかる可能性があるので、女将さんがスプレーで髪の毛を整えてくれて、そのうえに体重不足を心配されたので、水を数リットル飲んで新弟子検査にいったが、15人の同期生はみな体格がよく、合格しなければブラジルに帰ろうと思ったが、なぜか合格してしまいブラジル出身だということで、大勢のマスコミが取材に来ていてびっくりした。

しかし新弟子検査が終わるまでは、部屋ではお客さん扱いされていたが、合格したとたんに新弟子の辛い生活が始まり、朝は一番早くに起きて土俵で失神するぐらいきつい稽古、兄弟子の洗濯,ちゃんこの支度、兄弟子達が食べ終わるまで後ろで立って給仕、やっと食事にありつけたら残り物しか食べられなかったが、入門時は72キロくらいしかなかったので、兄弟子が後ろで見ており、無理やり食べさせられ、本当に歩けないぐらい「無理辺に拳骨」のごとくきつかった。

また兄弟子から聞いていた相撲教習所は厳しいといわれていたが、国技館の周りを三週走らされたが、痩せているので苦もなく早々と回って皆の到着を待っていたが、近くにいた指導の親方から皆が来るまで、腕立て伏せの姿勢での待機を命ぜられた。また痩せているので楽に腕立て伏せをやっていたが、10キロの砂袋を背中に置かれてやらされ、軍隊よりもきついと思った。

後援会の御贔屓の人がレストランで、300グラムの霜降りステーキをご馳走してくれたときは、2枚、3枚と食べてお腹が一杯になったが、もう1枚食べたら勝ち越しだよと勧めるので断れず、また5枚食べたら5勝だよと勧めるので無理して食べたが、その後暫くはステーキを食べる気持ちにならなかった。

また別の後援者から食事のはしごを誘われたときも、初めはすし屋、次に焼肉屋、その後中華料理で「ごっちゃん」で終わるかと思ったが、まだまだ痩せているからとケーキを三皿食べさせられたが、同期の力士におんぶして貰って、駅まで連れて行ってもらったこともあったが、今は一所懸命ダイエットしているが、一向に痩せる気配がなくて困っていると笑いを誘った。

12年間角界にいたが、怪我に泣かされ続けて膝を骨折して3ヶ月入院したときは、角界をやめてブラジルに帰ろうとおもったが、親方に励まされて一生懸命にリハビリをして十両に上がることができ、また後から入門した後の大関の栃東関が、兄弟子の私の世話をしてくれたり、一門の横綱の付け人をさせてもらって、よく可愛がってもらい他の力士から一目置かれたことなど、楽しい思いでも残っていると生真面目で謙虚な性格がにじみでた語り口に、皆は熱心に聞入っていた。

質疑応答で「思い出に残る一番」の問いに、十両昇進を決めた一番であったが、前日に後援者から食事に誘われても、明日の一番のことでガチガチに緊張していたが、普段どおりの相撲を取れと云われた事で相手の動きが良く見えて、十両昇進を決めた一番が印象に残っていると答えた。

またなぜそんなに日本語が上手な秘訣はとの問いに、部屋ではポルトガル語使用が禁止され、外国語を使うと拳骨が飛んできた。部屋では日本語しか使えないと外国人力士にとって、習慣、食べ物、解らない言語、上下関係の厳しい角界のしきたりなど日本人力士でも辛い角界に、涙と拳骨と郷愁に耐えていくしかないと答えていた。

若東関は2001年に十両(関取)に昇進、2003年に引退してブラジルに帰国、現在はリベルダーデ区ガルボン・ブエノ街にて、ちゃんこ鍋で有名なレストラン「ぶえの」を経営、自ら腕を振るっているが、強者の風格の中に温和で優しく謙虚な性格は皆から好かれて、レストランの繁盛に繋がっている。

昼食会の司会は平田藤義事務局長がリズミカルに進め、初めに招待者の元関取の若東関、特別参加の西林万寿人総領事をそれぞれ紹介、続いて山田唯資監事会議長が2007年第1四半期の会計監査を報告、寺本久男相互啓発委員長が6月1日から3日までのカマラツアーの案内、渡邉裕司コンサルタント部会長が5月16日のデザインセミナーの案内を行った。

双日の古橋正敏社長が帰国挨拶、山田浩次郎新社長が着任挨拶、丸紅の中村純一社長が帰国挨拶、日本スチールの浅賀健一社長が退任挨拶を行なった。新入会員紹会ではチガミ・アセソリア社の地上弥須夫社長、マツバラホテルのマリーザ・シバタ氏がそれぞれ挨拶を行なった。

3分間スピーチではパンアメリカンブラジル日系人協会の矢野敬崇会長が第14回パンアメリカン日系人大会/第48回海外日系人大会の合同大会、インターコンチネンタルホテルのエドアルド・カマルゴ氏が新サービス、レナト・ナカヤ氏が100周年祭典協会のOSCIPの認定などについて案内した。

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