異業種交流委員会 (吉田伸弘委員長)主催のブラジル日本文化福祉協会の石川レナト会長のハイブリッド講演会は、2022年8月12日午前10時から11時50分まで約90人が参加して開催、司会は湯原副委員長が務め、初めに吉田委員長が日本人のDNAを受け継いでリーダーシップを発揮した経営手腕は、我々の参考になると開催挨拶を行った。
石川レナト氏はテーマ「私のリーダーシップ論、一日系企業家50年の視点から」と題して、サンパウロ州パラグアス・パウリスタ生まれ。幼少期から剣道を習い、人格形成に大きな影響を受けたと説明。一家はサンパウロ市近郊のイビウーナ市郊外に移転して蔬菜栽培に従事。学校まで毎日往復14キロを徒歩で通ったが、靴底が摩耗するのを避けるために、校門前まで裸足で通学するほどの苦労も味わっている。また野菜の配達など幼少期から働いたが、日本語学校に通って日本語を勉強。また日本移民は子供の教育を最優先する傾向があり、多くの日系子弟は他の移民よりも教育レベルが高い。
高校からサンパウロ市で勉学に励み、マッケンジー大学を卒業。ジェツリオ・ヴァルガス大学院を卒業。スエーデン系のエリクソン及び日本資本のNECで35年間にわたって大切にするなど共営共存の精神が非常に似ている。NECを定年退職後不動産会社CNL社を設立。今までの経営経験から原材料のロス削減や先端技術導入、納期厳守などで不動産業界から不動の信用を得て堅実な経営を行った。またサンタウロ州サン・ジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ地域に350ヘクタールの土地で150万本のアラビカ種のコーヒーを全て機械化で栽培。日本、ドイツ、ブルガリアや英国に輸出している。
日系社会への恩返しとして社会奉仕活動を積極的に行っている。サンタ・クルース病院の理事長として、おもてなしの思想、トヨタ生産方式の導入を行った。人望の厚い石川氏は、呉屋春美前会長の指名を受けてブラジル日本文化福祉協会会長に就任。現在は2023年末まで第2期会長として、調和、対人関係、若いリーダーの参加をモットーにデジタル化に取り組んでいる。社会福祉活動など八面六臂の活躍をしている石川氏はサンパウロ名誉市民、外務大臣賞などを授かっている。また石川氏は、人のことを気に掛けることがリーダーにとって最も大切なことであり、人造りが私の自慢できることと結んで素晴らしい講演を終えた。
質疑応答では、ブラジル国内で活躍している人から見た日本人がブラジルで活躍できる資質?。今までで最大の文化的な壁は何だったか?。50年間の企業家人生で最も感慨深かった出来事は?。出向者がブラジルで心がけることは?。ブラジル日本文化福祉協会で出稼ぎの人達とはどのような交流や事業?。日本のリーダーと米国やブラジルのリーダーとの共通点や相違点は?。病院内でのおもてなし文化を導入したり理由などが挙げられた。