いよいよカーニバル期間に入る2014年2月28日の金曜日は、暫定令(MP)第434号の公示からちょうど20年の節目となる。このMPにより、第2通貨のように機能しながらも、単なる「仮想価値」あるいは、「通貨価値基準に限定して使われるだけ」という恐るべき斬新なアイデア、URV(実質価値単位)が導入された。
URVは、生まれながらにして実体(レアル)があった。MP第434号は第2項において、URVが紙幣の形で発行される場合を規定しており、その結果として支払いに使用でき、最終的にクルゼイロ・レアルが消滅してURVが名称をレアルに変えた。
インフレは月間40%の境界線上で推移していたが、これが構築された経緯を見ると、URV(サウロ・ラモスは快活な悪ふざけで「通貨の胎児」と呼んだが)は、「安定した通貨」だったし、インフレに対する保護が組み込まれた単位で、したがって、当時流通していた、あるいは契約の指数として使用されたその他の単位より優れ、そのため、自然発生的に、しかも驚くほど急速にこれらに取って代わったのだ。
1994年3月1日の立ち上げ時点で、中央銀行が為替相場を定義するのに利用したレート(この関係は逆ではない)は、CR$647.50だった。翌日には、URVは当座のインフレ変動を反映してCR$657.50に上昇、さらにその1日後はCR$667.65というように推移した。
数週間後、URVは、まるでウィルスのように蔓延した。断りきれない招待状が届いたようなものだった。ドルと歩調を合わせる通貨に、自然な形でシフトした。なぜブラジルは、他の国々がいずれもそうであるように、優れた通貨を保有できなかったのか? なぜ安定した、指数化された安定した通貨は、「夜通し」使っていた富裕層からだけ珍重されたのだろうか?
4か月後(だがもっと前でも良かったかも知れない!)7月1日、レアルの新しい紙幣と硬貨がクルゼイロ・レアルをR$1=CF$2,750.00で置き換えて流通を開始した。通貨改革はこれで完成し、レアルが完全に流通することになった。ブラジル人は計算能力がないといったのは誰だ? 複雑に見える経済問題に対して理解力がなくスマートに対応する能力がないといったのは誰だ?
それから20年、広範囲にわたってURVが採用されたことは、依然として謎と魅惑に包まれており、さらに専門家の間では人類が知り得る限りにおいて最も巧妙な通貨安定化の試みと成功体験の1つとして記憶にとどめられている。1923年のドイツのハイパーインフレの終焉は、同様の臨時通貨、レンテンマルクを使用しており、しばしば、「奇跡」と称され、URVのようなものに対する説明をかきたててきた。
現実には、インデックスが付与された通貨の導入は、「物の価値」の再発見と言えるような類の化学連鎖反応の引き金を引き、その影響力は、金銭に関係するあらゆる象徴的なスペクトラム全体に及ぶところとなり、その上、インフレと非道徳性を浮き彫りにする。象徴性に訴える計画の駆け引きには、多くの事象が含まれる。それらは、通貨と、国旗と国歌のような国家の最も重要なシンボル、ハイパーインフレーションに翻弄されて没落した境遇、経済問題どころではない影響などだ。
エリアス・カネッティは、ドイツのハイパーインフレに関する有名な一節の中で、この種のインフレは「人間と彼が持つ札束がそれぞれに最も奇妙な作用を発揮する状況下で価値が下落するというある種の悪魔の狂騒だと言える。一方が他方に投影され、男は所有する金同様に自分をとても『役立たずだ』と受け止める」と鋭く洞察した。これを不思議に思うことは何もないし、従って、無気力の内に、そして価値が解体される内に、この意識はより広範囲に蔓延し、それらの年月にわたって巣食い、そして不幸にも、後遺症を残していく。
レアル計画が示した「帰り道」は、一連の通貨機能の回復と再統一なのだと理解できる。まず、URVという通貨単位を機能させるために、契約と家計で使用される他の指標と通貨単位を置き換え、次に、通貨単位をレアルとした紙幣と硬貨を発行して、法定通貨単位での支払いに機能させ、最後に、これが難関なのだが、価値の担保として機能させるために、新通貨がドルペッグをやめる際にテストを実施し、ドルに対して変動させる。そして市場の判断に任せ、レアルがドルに対して値上がりし、オペレーションは完了する。
それは、ただの始まりに過ぎなかったし、他の経済計画と異なり、レアル計画は経済の安定と発展に対するファンダメンタルズと呼ばれるものと理解され、その行動計画はより大規模なものと理解されていたので、当然ながら、プログラムは継承されていった。当時は、人々がサンタクロースを信じるように慢性インフレを信じていたため、革新的な意見とされた。だがこの行動計画がプログラムのコアだった。時の通過と政権の交代はあったが、変化と言えば、我々が導入したパラダイムと言うものが既に、国家の金銭的規律と財政責任、財政の持続性に対して責任を負う場所にしっかりと腰を据えていることが一層明確になっただけである。
URVは、その後レアルへと移行し、1997年の年明けには、混乱なく、差し押さえや反動、リセッションなくブラジルのインフレ率を国際水準に引き下げた。1998年には、拡大消費者物価指数(IPCA)によるインフレ率は1.6%と、歴史的にも最低水準を記録した。1940年に計測が始まったサンパウロ大学経済研究所(Fipe)の消費者物価指数(IPC)でも、史上最低の年間インフレ率だった。
このように、安定化によって我々は、無気力や鬱の状態から陶酔と熱望へと脱出し、安定化に向けた行動計画は、成長に向けて必要な改革を議論する場へと急速に、それも数年前から既に移行している。
経済成長の問題は、多くの点で安定化の問題と共通している。どちらも調整と説得、マクロ経済の一貫性に対する保証、そして、何よりも適切なインセンティブに依存している。URVとレアル計画は、実施の際の透明性と、経済スタッフが乗り越えられると受け止めるメカニズムを「導入するための招待状」という観念、そうした物事の在り方というものに成否が常に関連付けられてきた。それは、労働組合と使用者団体が交渉した「社会協定」などではなく、法定準備預金や資産凍結のような出過ぎたシステムですらない。こうした手段は、機能しないのだ。人というのは、そこには法人も含むのだが、自身のより大きな利益に関して自身の感性に導かれて自身で判断することを好む。このように、市場経済は我々自身がそうしているように機能する。政府が公共政策を策定するにあたり、経済が機能するための決定的に重要な細やかな対応を進めている間は、物事はうまく機能する。(2014年2月23日付けエスタード紙、グスタボ・H・B・フランコ元中銀総裁)








