うんちく

 

ウンチク・その20.
ブラジルの国民食

ブ ラジルの国民食ともいわれるほどポピュラーなのが、"フェジョアーダ"。もとは奴隷船でアフリカから連れてこられた黒人たちが、主人の残した屑肉や鼻,尻 尾、耳、内臓を黒豆と煮込んで食べていた料理であったが、スタミナ満点で、現在では内臓だけでなく、リングイッサと呼ばれるソーセージなども具として使わ れ、あらゆる階級の人たちに食べられています。ブラジルでは、フェジョアーダは水曜日と土曜日の食べ物とされ(最近はその習慣も薄らいでいるようです が)、専門店もあります。付け合せにはご飯やファリーニャ(マンジョウカ=キャッサバの粉)が欠かせません。


ウンチク・その19
ブラジルの火酒 ピンガ

ピ ンガは、サトウキビの搾り汁をそのまま発酵、蒸留したものでブラジル独特の蒸留酒だ。ラムも同じくサトウキビからつくられるが、ピンガは搾り汁に加水しな いので、ホワイト・ラムよりも酒質は重い。また、単式蒸留器を使うために蒸留しきれない成分が残り、雑味が多くなる。この雑味の多さがピンガの植物っぽい 香りの特徴で、その魅力のひとつになっている。
カイ・ピリーニャは、グラスの中でライムをつぶし、そこに砂糖を少々。よく冷えたピンガを注ぎ、クラッシュ・アイスを入れ、かき混ぜてできあがる。小さな氷をガリガリしながら、食べるように飲むと、これがまた美味い。爽やかに甘酸っぱく、そして青い。
「ラムよりも、少し田舎くさい感じ。土っぽい香りがいいんですね」
ちなみに「カイ・ピリーニャ」とは「田舎の小娘」という意味。


ウンチク・その18
アマゾンで最も美味しい魚

ア マゾンで最も美味しい魚。「ジャラキーを食べるとアマゾンから離れられなくなる」と昔から言われている。これは味と価格が最も庶民に適したものであるから である。しかし、この魚、マナウスのアマゾン料理店では滅多にお目にかかれない。魚の価格が安すぎて、採算が合わないから。この魚を味わうには、朝早く新 鮮なジャラキーを買ってきて、自宅で調理するしかない。残念ながら、観光客は滅多に味わうことのできない魚である。
どのように調理してもおいしい が、特にバナナの葉で包んで炭焼きにするのが最高においしい。フリートにすれば、サルジーニャ同様、頭からバリバリ食べられる。カルシウム補給に最適。味 付けをする必要は無いが、塩を少々降ってからだとさらにおいしい。フリートにすれば厄介な小骨も気にならなくなり、ジャラキーのおいしさを満喫できる。


ウンチク・その17
アマゾンの味

「タカカ」とは、アマゾン地方独特 の酸っぱくて辛い冷たい不思議なスープ。 ジャンブーというジャングルに生える山菜(舌がびりびりとしびれる香草)と小さな川えびを、トゥクピー(マンジョカ芋からつくるアマゾンの 調味料)で煮て、タピオカの粉でとろみをつける。 これを、「クウヤ」という、椰子の実のような丸い実を半分に切って作った容器に入れて、お箸代わりの楊枝をつけて出します。
味は、ちょっときつめの塩っ辛さにジャンブーのしびれ、レモンの酸味が加わり、それをタピオカのドロッとした感触が合わさり、不思議なコンビネーション。好みでトウガラシをくわえる。この逞しさや野生的な味は、「これこそアマゾンの味」。


ウンチク・その16
故開高健氏も堪能したアマゾンの泥ガニ(カランゲーョ)

ア マゾン川河口のベレン市周辺、マラジョー島のマングローブ林の泥地に棲むカニ。泥をとり塩茹でしたものを専用の棒で叩きながらの食べ方をTOQUE- TOQUE(トキトキ)と言う。身をほぐしたものをトマト、玉ねぎ、シェイロベルデ、ファリーニャと混ぜたものを泥ガニの甲羅に詰めたものをカスキーニャ と呼ぶ。市場で、まだ泥にまみれたカニが一匹50セントで手に入る。レストランで食べると、1匹約1ドル程度。


ウンチク・その15
ブラジルの各州出身者の呼ばれ方

ブラジルにも、日本の地域性(東京、大阪人はこうこうで)と同じような地域性がある。
カーニバルでおなじみリオ デ ジャネイロの人々は、”カリオカ”と呼ばれ、人生を楽しむのにすべてをかける。
ジョークが大好きで海岸に住み派手好きです。
お金がなく飯が食えないような時でもファッションには気を配るというイメージ。
大都市サンパウロの人々は、”パウリスタ”と呼ばれ仕事大好き、1日中仕事名明け暮れお金を稼ぐことのみに専念し、人生を楽しむ事を知らないイメージ。
サンパウロとリオの間に位置するミナスの人々は、”ミネイロ”と呼ばれ思った事はダイレクトに出さず、ケチよく言えば質素 倹約家のイメージ。
ブラジル最南端に位置するポルトアレグレは、カーボーイで有名なそこの人々は”ガウショ”と呼ばれマッチョで喧嘩早く、なによりも酒好きのイメージ。


ウンチク・その14
日本とブラジルで反対なのは

季節
昼夜
渦巻き方向(ブラジルは時計周り)
カンナのかけ方
ノコギリの引き方
指での数の数え方
お釣の数え方
月の満ち欠け(ブラジルでは左から大きくなって右に消えていく)
ツルの棒に巻きついていく方向


ウンチク・その13
ブラジルのクリスマスの食べ物 「パネトーネ」

ブラジル人とクリスマス。この組み合わせで切っても切れないのが、パネトーネ(panettone)。パネトーネは元々イタリアのケーキであるが、自然酵母を使ったパンで長期保存が可能(地域により6ヶ月ぐらい)。


ウンチク・その12
ブラジル音楽 「ボサノバ」

ボサノバはブラジル生まれの音楽ではなく、
R&Bとレゲエをミックスさせたニューヨーク生まれの音楽がブラジルに逆輸入されたもの。


ウンチク・その11
アマゾン川

” 地球の肺”と形容されるアマゾン熱帯雨林は、二酸化炭素を酸素に間断なくリサイクルし、地球にある酸素の20%以上が、この地域から生産されていると見積 もられている。ブラジル、ペルー、コロンビア、ベネズエラなど9カ国に渡り広がるアマゾン熱帯雨林の面積は約480万km2。実に南米大陸の40%、全世 界の熱帯雨林の54%を占めている。
アマゾン熱帯雨林の中央を東西に流れるアマゾン川..その源流は、万年雪を頂くアンデス山脈である。アン デスの雪解け水が小川になり、複数の小川が一つの流れとなって、総延長6400kmにも及ぶ南米大陸を横断してブラジルのベレンで大西洋へと流れ込む。河 口付近の川幅は、雨季になると480kmにも広がり、河口から1600km内陸に入ったところでも、川幅10Kmを超える。
アマゾン川の水深はか なり深く、河口から3,500km以上内陸部でも遠洋航海船が航行可能。アマゾン熱帯雨林の真ん中を突き進むアマゾン川は、その支流は1,100以上で、 世界最大級の河川システムであるアマゾン川とその流域に縦横無尽に広がる支流には、実に全世界の真水の66%が集まっている。


ウンチク・その10
アガリスク(太陽のきのこ)はブラジル原産

ガン、糖尿病、肝臓病、動脈硬化、アレルギー疾患など様々な生活習慣病に対して、効果があると言われている通称「アガリクス茸」で知られる学名「アガリクス・ブラゼイ・ムリル」は、ブラジル・サンパウロ郊外のピエダーテ山中で発見された。
この地域は標高1千メートルの高地で、昼間は35度、夜間は20~25度、平均湿度が80%もあり、夕方には小雨や霧雨がよく降る。この限られた荒れた気候条件でしか自生しないため「幻の茸」とも呼ばれていた。
この地域住民に長寿者が多く、生活習慣病やガン患者が少なかったことが発見のきっかけになったといわれているが、いまではサンパウロ州以外でも広く栽培されている。


ウンチク・その9
年越し花火大会(12月)

年 末の31日にリオ市コパカバーナ海岸に造られた舞台で色んな有名人のショーが繰り広げられ。深夜12時前になると、カウントダウンが始まり、12時を迎え ると色とりどりの花火が打ち上げられる。年越しに白い服を着ると幸運がくるといわれ、多くの人が白い服を着る習慣がある。


ウンチク・その8
アパレシーダ祭(10月)

10月12日はブラジルの守護聖人の日。1717年に漁師がパライーバ川で聖母像(コンセイソンと呼ばれる、処女懐胎前の姿)を発見したのが起源。頭部と胴体が別々に引き上げられ、「アパレシーダ(出現した聖母)」と名づけられた。
そのブラジルの聖地アパレシーダの教会は、サンパウロ市からリオ方面180キロメートルに位置し、毎年この日には約15万人以上が全国から足を運ぶ。多くの参拝者は明け方に到着し、教会でご来光を拝もうと試みる
この日にあわせて遠方から徒歩で参拝した人や、ひざまずいた状態で歩いて参拝する人など、様々な形で信心を示す人たちで溢れかえる。また自分の身長と同じ長さのろうそくを捧げたり、病を抱えた体の部位をかたどった蝋細工を捧げたり、写真を捧げたりする。
バシリカ教会は、世界最大の修道教会で、教会としてはバチカンに次ぐ大きさで知られている。


ウンチク・その7
ビール祭りーオクトベル・フェスト(10月)

サンタ・カタリーナ州ブルメナウ市は 1984年から毎年恒例となって催されている10月のビール祭り、“オクトベル・フェスト”を18日間行ない、60万人を超える観客でにぎわう。
こ の祭りが始まったのは、今から21年前にさかのぼる。ドイツ人移民が多いブルメナウ市とその近郊の各市を横断するイタジャイー・アス川が決壊、洪水が発生 した。しかし多数の地域住民の尽力で復旧活動は飛躍的にはかどり、難しい復旧作業であったが逆に住民たちの結束はいっそう強まった。
復旧後、平穏 を取り戻した市の発展と、強まった地域住民の絆をいっそう強めるための祭りを開催しようという話が持ち上がり、市側もこれに賛同して開催されたのがオクト ベル・フェストの始まりだ。この祭りは、この地に多く住むドイツ系住民の故郷の国、ミュンヘン市の由緒ある祭りOKTOBERFESTにあやかり、ブラジ ル国内でも有名になりブルメナウ市の“オクトベル・フェスト”と呼ばれるようになった。
20年を越えた今では国内のみならず、隣国のアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイなどからの観光客が押し寄せるようになり。毎年60万から80万人が訪れ、ドイツ移民の伝統の祭りとして内外にその名を知られている。
ア トラクションは特設されたパビリオン内だけでは無い。市内のスポーツ、文化、レクリエーション施設から道路に至るまで、街中、音楽、ダンス、パレード、大 道芸、ビール飲み大会など、民族衣装を着たブルメナウ市民が中心となって繰り広げられ、ドイツの田舎町にいるような錯覚をおこさせる。


ウンチク・その6
ロデオ祭り(8月)

サンパウロ市から440キロ北西のサンパウロ州バレットス市では、8月に恒例の50年の歴史を誇るラ米最大のロデオ大会『バレットス・カウボーイ(ペオン・デ・ボイアデイロ)祭』が、約10日間緑の美しいペオン公園で開かれる。
多くの牛飼い(ペオン達)が参加するこの祭りでは、セルタネージョやロック、サンバ、アシェーなど多彩なショーも開催。ペオン公園内には子供の遊び場もある。しかし当市周辺のホテルは半年前に予約しないと満室になってしまうほど有名。
市の中心部にあるバレットス・ペオン民族史博物館では、1956年に初めて開催されたペオン祭の歴史を紹介する。5つの修道会が集まったシダーデ・マリーアには、ベンソン(祝福)を求めるペオンたちがよく訪れる。


ウンチク・その5
羊の蒸焼き祭り(7月)

イ グアスーの滝から程近い(220キロメートル)パラナ州カンポ・モウラン市が、1990年から毎年7月第2日曜日に開催している羊の蒸焼きは、1.5メー トルの地中に炭を赤々と燃やし、140個の大鍋の中に羊肉、10種類の野菜やフルーツなどを8種類の香辛料で味付けし、12時間地中で蒸焼きにするブラジ ルでも珍しい料理。
この祭りには毎年1万人近くの観光客が押しかけ、エキゾチックな羊料理に舌鼓し、年々規模が大きくなってきており、イグアスーの滝を見物に来る外国人観光客を参加するようになった。


ウンチク・その4
フェスタ・ジュ二-ナ(6月)

6 月は、カトリックの三聖人で結婚を許すサント・アントニオ(13 日)、火の聖人サン・ジョアン・バチスタ(24 日)、雨の聖人サン・ペドロ(29 日)の誕生日があり、その 聖人を祝うお祭りとして各地域や教会、学校などでフェスタ・ジュニーナ(Festa Junina)が行われる。
6 月は収穫の季節であり、収穫感謝祭の意味合いもあります。 フェスタジュニーナを直訳すれば「六月のお祭り」です。
ブラジルは季節的に冬であり、温めた赤ワインにはっかやリンゴの皮等を入れて作るヴィンニョ・ケンテやピンガに生姜やはっかを入れて温めて作ったケンタゥンを飲み、とうもろこしのケーキ(パモニャとクラウ)、ゆがいたとうもろこしなどを食べるのが伝統です。
年 齢を問わずに生演奏のブラジルのカントリーミュージックをバックに楽しめるフォークダンス「クアドリーリャ」 を踊る。また幼稚園や小学校のフェスタでは、男の子はチェックのシャツに継ぎのあたったズボン、スカーフ、麦わら帽子をかぶって髭を描き、女の子はヒラヒ ラの継ぎハギ風のワンピースに、みつあみ付き麦わら帽子に、ほお紅を塗ってソバカスを描いて踊り、老若男女を問わずに楽しんでいる。


ウンチク・その3
ボーイ・ブンバ(6月)

アマゾン流域のパラー州では毎年6月には各地でボイブンバの祭りがされる。ボイ・ブンバはもともと14世紀にはじまる黒人奴隷たちのお祭りから発したものですが、その後、白人の衣装、黒人のリズム、インディオの踊り、この三者がミックスされたものとなりました。
筋 書きもおよそ決まっており、舞台は17~18世紀の牧場。牧場で働く使用人のフランシスコの妻、カタリーナは妊娠中。ある日彼女は、牛舌が食べたいと言い それも、ご主人様の一番お気に入りのあの牛の舌が食べたいといいます。フランシスコはお腹の子どものためとその牛を殺すのですがすぐに事がばれてしまい、 彼は牛を生き返らせるために祈祷師を呼び、そして牛は無事に生き返り、みなはそれを見て喜び踊りあうというストーリー。


ウンチク・その2
リオのカーニバル(2月から3月)

余りにも有名で、ブラジルと聞くと真っ先に思い浮かぶのがリオのカーニバル。毎年2月から3月にかけて行われる。
このカーニバルの歴史は古く、16世紀後半にポルトガルの入植者によってもたらされ、当時は仮装を凝らした人々が大声で歌いながら通りを歩いたり、水やメリケン粉をかけあったり、卵やオレンジをぶつけ合ったりしていた。
そして19世紀の中頃から演出家達が趣旨を凝らし、参加者が競って派手な衣装で着飾るようになり、アレゴリア(Alegoria)と呼ばれる山車もこの頃から登場するようになった。
現在は東北部のバイア州サルバドール市、ぺルナンブーコ州レシ―フェ市やオリンダ市なども多くの観光客を引き付けているが、多くの中流ブラジル人はカーニバルの喧騒を避けて、海岸や山の別荘で過ごしているのも現実である。


ウンチク・その1
ボンフィン祭り(1月)

1月の第2木曜日のボンフィン祭りは特に有名。奇蹟を行うと信じているバイーヤ州の人々の守護聖人ボンフィンを讃えて、伝統的なバイーヤ衣装を着た数百人もの女性がボンフィン教会の階段を清掃するために集う様は大変壮観。
北東部のサルバトール市の海岸地区に位置し 昔、ポルトガル船が遭難しかけたとき船長が神にすがり無事にサルバドールに着いた。それを感謝して建てられた教会である。
「奇 跡の教会」と呼ばれ、サルバドールに365あるといわれる教会の中で最も伝統があり、願がかなえられる教会としても有名。怪我や病気のある体と同じ個所の プラスチックの作りものや写真を奉納する人が多く、教会の一室はそうした足や手が天井や壁一杯に保管されている。ブラジル人の中でも願い事が叶うこと知ら れている。
ボンフィン(ミサンガ)はブラジルや日本のサッカー選手がよく手首に巻いているもので、この教会が発祥に地である。
3回結び目を作り手に巻き、自然に切れるまで巻いておくが、自然に切れるときに願いがかなうといわれており、 サッカー選手などは手首だけでなく足首にも巻くことがある。怪我をしないようにと願いを込めて付けるものと云われている。