食品部会主催の味の素工場見学

 食品部会(部会長・酒井芳彦味の素インテルアメリカーナ社長)主催の味の素社リメイラ工場見学会が5月23日に50人が参加、午前8時に貸切バスでサンパウロ市を出発した。

サンパウロ州リメイラ市にある最初の生産工場管理棟は1977年に有名な日系建築家ルイ・オオタケ氏により設計され、今では150ヘクタールの敷地内に30ヘクタールの建設面積、約1,000名の社員が働いており、環境保全にも積極的で、敷地内の25%は緑地を保っている。
 
酒井社長、森副社長並びに木村工場長のプレゼンテーションの後、工場内のブラジル一般家庭になじみの深い調味料SAZÓN、粉末ジュース、VONOスープ、食品・医薬向けのアミノ酸類、化粧品原料、農業肥料などの生産プロセスを見学、そして当社の主製品、味の素生産工場も見学した。
 
味の素社提供の素晴しい心のこもった昼食会が行なわれ、社の工場スタッフらも加わって、楽しくて知識深まる懇談が行なわれ、素晴しい見学会となった。

 味の素のブラジル進出は、1954年に駐在員事務所開設、2年後の1956年に輸入販売会社をスタートさせ、当初は日本からMSG(味の素)を輸入し、食品工業向け、レストラン向け、そして小物包装し一般の消費者に「味の素」の販売を展開してきた。南米では、ペル―工場が先に稼動しましたが、21年後の1977年当時川崎工場の輸出代替工場として生まれたのがこのリメリラ工場で、従って販売会社設立より51年、当該リメイラ工場は、この4月で30周年を迎えた。

現在ブラジル味の素の事業は、本社100パーセント出資による味の素インテルアメリカーナ社と、同じく100パーセント出資の味の素ビオラテイーノ社、そして日清食品と50パーセント出資の合弁会社(日清味の素)の事業展開をしている。

この工場の生産は、「味の素」は元より、ブラジル風調味料、粉末ジュース、VONOスープなどの食品製品、食品・医薬向けのアミノ酸類、化粧品原料となる香粧品類、農業肥料となる液体肥料など、多くの製品を生産し、ブラジル国ばかりでなく、世界70カ国以上に輸出する味の素グループの戦略供給拠点の位置付けとなっている。

<以下は同行した事務局長の談話より >

道中、バスの中で今回の主催者である酒井食品部会長自らのサービス・気配りや工場到着時、小雨の中、幹部の方々が傘を片手に暖かい出迎えを受け酒井社長をはじめ森副社長、木村工場長等の懇切丁寧な一糸乱れぬご案内に感銘を受けた。

装置産業的と言うか、むしろ化学コンビナートと言った方が正しい表現かも知れないが、原料の貯蔵段階のインプットから排水処理のアウトプットに至るまで整然とした工場のレイアウトそして、そのメインテナンス、省力・省エネ対策、整理・整頓・清潔・清掃・躾(5S)など管理がしっかりと定着、全グループ挙げて環境とCSRを基本方針に取組んでいる美しい工場であった。
 
総領事夫人をはじめ会員代表者のご夫人の方々も多数ご参加、日頃何気なくお料理に使っている味の素製品の製造現場を直に見学、熱心に質問されていた風景に、会員の輪が家族にも広がり一層絆を強めて行くと同時に、環境にも人にも優しい企業のイメージが、見る人々の心にひしひしと伝わって来た。味の素グループの益々のご活躍とご発展を祈りたい。なおご参加された方々からも率直な感想文をご寄稿下されば幸いです。

 

 Pdf見学会のプレゼンテーション資料

 

工場の説明をする酒井食品部会長

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参加者全員で記念撮影

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プレゼンテーションの様子

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プレゼンテーションの様子

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石川企業経営委員長から酒井食品部会長にプレートの贈呈
(左から平田事務局長/木村工場長/森副社長/石川YKK社長/酒井社長)

繊維部会は「遺伝子組換え綿花」の研修会に23人が参加

繊維部会(部会長:今西暉夫ユニチカブラジル社長)は、5月16日~17日にミナス・ジェライス州ウベランジア市で7社23名が参加し、「遺伝子組換え綿花」についてMDM研究所で研修を行った。

遺伝子組換え綿花は今年ようやく認可され、市場に出回ることになり、従来綿花との違いを知る目的で企画されたもので,各社共、綿花の実務担当者も参加し熱心に質問をした。

また、この機会に同市にあるダイワボウの工場見学も実施、伝統的にオープンな日系繊維だが、中国製品との競争に逞しく生き残りを賭け益々結束を強めている。

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5月17日の労働問題研究会に31人が参加

企業経営委員会(石川清治委員長)の労働問題研究会が、5月17日午後4時から6時まで商工会議所会議室に31人か参加、進行役は破入マルコス副委員長が担当、初めに石川清治委員長が最近のドル安に拍車がかかっているブラジル経済について意見を述べ、また参加者達とも議論を交わした。

味の素のミルトン・リマ・アラウジョ・ジュ二オール人事部長は「勤務評価、人材育成、能力開発の鍵」と題して、人材育成の観点から、勤務評価結果のフィードバックによる気付きを与え、キャリア開発意欲の継続に勤めて、職員一人ひとりの能力開発に役立ち、それには正当な勤務評価の査定、ルール、昇給、昇進、ボーナスの処遇に対して慎重を期さなければ、時として逆効果を生じると説明した。

自己申告制度、製造部門ではジョブプロテーションによる幅広い業務経験、次世代のリーダーの育成、職員のキャリアデザインの重視、持続的なモチベーションの維持などについても説明し、質疑応答では盛んに実例を挙げて意見の交換を行なっていた。

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コンサルタント部会が5月16日に若手有望クリエイターの緒方信行氏を招いて、デザインーセミナー開催

コンサルタント部会が5月16日に若手有望クリエイターの緒方信行氏を招いて、デザインーセミナー開催、渡邉ジェトロサンパウロ所長の多岐にわたる顔の広さで別世界の舞台裏を垣間見ることができた。

コンサルタント部会(渡邉裕司部会長)は今までにない一風替わったセミナーとして、リオ市で起業家として成功している若手有望クリエイターの緒方信行氏を招いて、「デザインと新たな広告領域」と題して、5月16日午後4時から6時過ぎまで、商工会議所会議室に多くの女性を含む51人が参加、クリエイティブを追及する緒方氏の異次元の物の見方や考え方に圧倒されて、素晴しいセミナーとなった。

緒方氏は冒頭から「デザインとは何ですか」と参加者に問い、パワーポイント、CM,車のデザインなどが頭に浮かんでいると思いますが、私は形を構築することであり、パソコン、ライターや車などの最適な形を考えることがデザインであり、例えば良い形の車のデザインをするには、車を知らなければならないアーキタイプ、また今の主流である企業理念にあったデザインがステレオタイプであるが、やはりデザインする物の本質を知らなければならない。

クライアントからデザインを頼まれるときは、往々にしてクライアントは何をして欲しいのかも解らない場合があり、要求しているものが理解できるまで徹底的にミーティングを重ね、お互いが理解しだしたら波長も合うようになり、人とのつながりを大切にてその人の人柄がでるので、自分自身を知る旅でもあり、どんな自分でありたいか考えている。

クリエイティブハウス「OESTUDIO」をブラジル人と立ち上げて6年目になるが、製品コンセプト、企業ロゴ、ファションショーの企画、テレビなどの映像媒体宣伝などを行なっているが、単なるデザインスタジオと異なる点は洋服のデザインをしており、ブラジル、日本やヨーロッパで「OESTUDIO」のブランド名で販売しているが、本当に自分のクリエイティブを掻き毟るため、アートや発奮の場であって、利益を出して金に縛られる守銭奴には毛頭なりたくないと強調した。

またある企業からロゴ製作の依頼があっても、単にロゴを製作するのではなく、映像、CDのジャケット,ユニホーム、キャンペーン用ウエブなどメディアも活用してビジュアルからコニュ二ケーションのスタジオを目指している。

ショッピングモールで履物、衣料やバッグなどの販売のブランド店「Cantao」はマーケティングを疎かにしていた為に、客離れが激しくて客足が遠のいていた為に広告の依頼が舞い込んだが、初めにロゴの更新から着手して、今後のブランドのポイントとなる赤いポイントマークを包装紙、ショピングバッグ、店内の装飾などあらゆるところに入れて強調、新ブランド化のフィロゾフィーの植えつけて成功し、今ではブラジルに60数店舗を構えている。

また緒方氏は招待されてリオファッションウイークにも参加、その斬新なデザインコンセプトとマルチメディアを使ったファッションショーがうけ、あらゆる雑誌などに取り上げられ、新しいデザインの仕事、広告、ロゴ作成、ウェブデザインなどの注文が団体を組んできたために、裁ききれない嬉しい悲鳴をあげている。

パンアメリカン競技大会のブラジル代表チームのユニフォームのデザインも手がけていているが、スポーツユニフォームは規制が多い為、余り斬新なクリエイティヴなデザインを捻り出すのは難しいが、競技用ショーツに人間の血管にも見える木の枝のデザインを工夫、実用性、ブランド価値、モラル価値の三点を考慮してこのプロジェクトを進めた。

新しいクライエントとはどのような方向に、これから社のブランドを運んでいくかを考え、緒方氏率いるスタッフ陣はブレインストーミングを行い、あらゆる可能性を考案した後で、これだといったものに絞り、クライアントにプレゼンテーションするが、現在は商品さえよければいいという時代は終わり、感性などソフトな面も重要化したブランド(業者)のみが生存権を獲得できる厳しい世界に身をおいているが、人の心を暖かくできるような夢のある仕事ができればよいのですがと謙虚に語った。

緒方氏は早稲田大学在学中にコマーシャル製作会社で、アシスタントを務めながら取り溜めた映像作品が、世界でも著名な写真家のオリビエロ・トスカーニ氏に認められ、イタリアのベネトンリサーチセンター「FABRICA」に史上最年少で採用され、トスカーニ氏のアシスタントとして扱かれ、「クリエイティブとは何か」を徹底的に考えさせられる日々を過ごした。その後ニューヨーク滞在した後、リオで「OESTUDIO」を設立、FIAT,SONYやHPなど幅広いクライアントを持って,異色の日本青年実業家として活躍している。

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5月16日開催の自動車部会が16人が参加

5月16日午後5時から6時まで商工会議所小会議室に16人が参加、岩村哲夫前部会長の北米ホンダへの栄転で空席になっていた部会長にトヨタの長谷部省三社長、また足立雅人副部会長の後任に久米豊ブラジルヤマハ社長がそれぞれ満場一致で選任された。

今後の方針として業種別部会長シンポジウムの発表資料作成の意見交換会の開催、部員の親睦、引き続き知的財産権、エミッション規制、不当競争のモニトリングなどで意見の交換を行なった。部会終了後に近くでレストランにて親睦夕食会の席が設けられた。

参 加者は雨宮氏(雨宮工業)、マサミ・コボウ氏(Autosafe),猪本氏(デンソー)、鍋島氏(ホンダ・サウスアメリカ)、小林修氏(三菱コーポレー ション)、小林且幸氏(三菱コーポレーション)、渡辺氏(NGK),関根氏(個人)、長瀬副部会長(テトラ・ペトリ)、 長谷部部会長(トヨタ)、天野氏 (トヨタ)、久米副部会長(ヤマハ)、大川氏(矢崎)、金沢調査員(サンパウロ総領事館)、平田事務局長

奥のワイシャツ/ネクタイ姿が長谷部省三新部会長

法律委員会が5月9日に26人が参加

法律委員会(押切フラビオ委員長)が5月9日午後4時から6時過ぎまで商工会議所会議室に26人が参加、ジョゼ・オリベイラ副委員長が進行役を担当した。

トヨタ社のリカルド・アメリコ弁護士は「電子商業伝票とSPEDの概要」について、昨年から開始された電子商業伝票のモデルケースプロジェクトの19社の中の1社としてに参加、今年は50社が参加しており、サンパウロ州、南大河州やマラニャン州など6州でテスト中であるが、2008年には売上げ上位1万社の参加を義務付けており、将来は企業活動を行なっている全社の参加を義務付けている。

商業伝票は5年間の保管が義務づけられているが、電子商業伝票発行では物理的スペース、ブロクラシー、会計専門家などの節減やブラジルコストの削減などで有利となるが、システム(SPED)の採用によるソフト経費など問題も発生すると説明した。

ラッケル・アパレシーダ・ジェジュス弁護士は「スーパーレセイタの主要点」として、5月2日から国税庁と社会保障院(INSS)が合体して、企業の社会保障に関する徴収、引続きINSSで行なわれるサービスなどについて説明した。

アドルフォ・ベルガミニ弁護士は「商品の腐敗又は紛失ケースに於けるICMSクレジット返済の不能性」として、ICMSの負債及びクレジット、カンジール法との関係などについて説明した。

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2007年度異業種交流委員会議事録(5月)

日時:2007.05.10(木)
場所:ブラジル日本語センター
出席者(ABC順):ABE・AKAMINE・ITAGAKI・KANAZAWA・MINAMI・NISHIOKA・TAKEDA

記 ABE

【議事録】

  1. 勉強会テーマの今後の予定リストを配布。(担当:阿部)
  2. 各委員は業種別勧誘リストに基づき引き続き勉強会への新規参加者を募る。
  3. 次回担当者
    ・連絡係    大野
    ・会場/食事係 板垣
    ・会計係    竹田
  4. 本日の勉強会テーマ(参加者:15人)
    『ブラジルと中南米他国との文化の違い』(日立製作所 西岡さん)
    『ブラジルにおける多角化経営について』(YKK 西村さん)

以上

5月の懇談昼食会で元関取の若東関が「我が相撲人生と角界」と題して講演した

商工会議所の懇親昼食会が5月10日にグラン・ハイアットホテルに92人が参加して開催、ブラジルから日本の相撲界に入門して、苦節10年歯を食いしばって、関取と呼ばれる十両まで上り詰めた元関取の若東関が「我が相撲人生と角界」と題して講演した。

1976年サンパウロ生まれの若東関の黒田吉信氏の父親は相撲が大好きで、角界入りを熱望していたが、体格的に力士にはむいておらず、力士になるのを諦めブラジル移住、子供達に相撲を教えていたが、私は父親の影響で4歳のときからしこを踏んでいた。

15歳のときに相撲の名門校明大中野中学の一行が、ブラジルに来て一緒に練習する機会があり、そのなかの志賀太祐少年(後の栃東関)に勝ったために、玉の井部屋にも体の小さい力士がたくさんいるからと勧誘され、また志賀少年からも一緒に角界入りしようと誘われ、父親の夢の実現と自分の力試しに入門した。

しかし玉の井部屋に入門してみると、聞くと見るとは大違いで体の大きい力士ばっかりで不安になり、しかも志賀少年は高校に進学しなければならず、話が違うと思ったが後の祭りとなった。また部屋の女将さんが親方に、行司になる子が入門したのと親方に尋ねていることを聞いたので、更に不安が募った。

背が低くて新弟子検査に引っかかる可能性があるので、女将さんがスプレーで髪の毛を整えてくれて、そのうえに体重不足を心配されたので、水を数リットル飲んで新弟子検査にいったが、15人の同期生はみな体格がよく、合格しなければブラジルに帰ろうと思ったが、なぜか合格してしまいブラジル出身だということで、大勢のマスコミが取材に来ていてびっくりした。

しかし新弟子検査が終わるまでは、部屋ではお客さん扱いされていたが、合格したとたんに新弟子の辛い生活が始まり、朝は一番早くに起きて土俵で失神するぐらいきつい稽古、兄弟子の洗濯,ちゃんこの支度、兄弟子達が食べ終わるまで後ろで立って給仕、やっと食事にありつけたら残り物しか食べられなかったが、入門時は72キロくらいしかなかったので、兄弟子が後ろで見ており、無理やり食べさせられ、本当に歩けないぐらい「無理辺に拳骨」のごとくきつかった。

また兄弟子から聞いていた相撲教習所は厳しいといわれていたが、国技館の周りを三週走らされたが、痩せているので苦もなく早々と回って皆の到着を待っていたが、近くにいた指導の親方から皆が来るまで、腕立て伏せの姿勢での待機を命ぜられた。また痩せているので楽に腕立て伏せをやっていたが、10キロの砂袋を背中に置かれてやらされ、軍隊よりもきついと思った。

後援会の御贔屓の人がレストランで、300グラムの霜降りステーキをご馳走してくれたときは、2枚、3枚と食べてお腹が一杯になったが、もう1枚食べたら勝ち越しだよと勧めるので断れず、また5枚食べたら5勝だよと勧めるので無理して食べたが、その後暫くはステーキを食べる気持ちにならなかった。

また別の後援者から食事のはしごを誘われたときも、初めはすし屋、次に焼肉屋、その後中華料理で「ごっちゃん」で終わるかと思ったが、まだまだ痩せているからとケーキを三皿食べさせられたが、同期の力士におんぶして貰って、駅まで連れて行ってもらったこともあったが、今は一所懸命ダイエットしているが、一向に痩せる気配がなくて困っていると笑いを誘った。

12年間角界にいたが、怪我に泣かされ続けて膝を骨折して3ヶ月入院したときは、角界をやめてブラジルに帰ろうとおもったが、親方に励まされて一生懸命にリハビリをして十両に上がることができ、また後から入門した後の大関の栃東関が、兄弟子の私の世話をしてくれたり、一門の横綱の付け人をさせてもらって、よく可愛がってもらい他の力士から一目置かれたことなど、楽しい思いでも残っていると生真面目で謙虚な性格がにじみでた語り口に、皆は熱心に聞入っていた。

質疑応答で「思い出に残る一番」の問いに、十両昇進を決めた一番であったが、前日に後援者から食事に誘われても、明日の一番のことでガチガチに緊張していたが、普段どおりの相撲を取れと云われた事で相手の動きが良く見えて、十両昇進を決めた一番が印象に残っていると答えた。

またなぜそんなに日本語が上手な秘訣はとの問いに、部屋ではポルトガル語使用が禁止され、外国語を使うと拳骨が飛んできた。部屋では日本語しか使えないと外国人力士にとって、習慣、食べ物、解らない言語、上下関係の厳しい角界のしきたりなど日本人力士でも辛い角界に、涙と拳骨と郷愁に耐えていくしかないと答えていた。

若東関は2001年に十両(関取)に昇進、2003年に引退してブラジルに帰国、現在はリベルダーデ区ガルボン・ブエノ街にて、ちゃんこ鍋で有名なレストラン「ぶえの」を経営、自ら腕を振るっているが、強者の風格の中に温和で優しく謙虚な性格は皆から好かれて、レストランの繁盛に繋がっている。

昼食会の司会は平田藤義事務局長がリズミカルに進め、初めに招待者の元関取の若東関、特別参加の西林万寿人総領事をそれぞれ紹介、続いて山田唯資監事会議長が2007年第1四半期の会計監査を報告、寺本久男相互啓発委員長が6月1日から3日までのカマラツアーの案内、渡邉裕司コンサルタント部会長が5月16日のデザインセミナーの案内を行った。

双日の古橋正敏社長が帰国挨拶、山田浩次郎新社長が着任挨拶、丸紅の中村純一社長が帰国挨拶、日本スチールの浅賀健一社長が退任挨拶を行なった。新入会員紹会ではチガミ・アセソリア社の地上弥須夫社長、マツバラホテルのマリーザ・シバタ氏がそれぞれ挨拶を行なった。

3分間スピーチではパンアメリカンブラジル日系人協会の矢野敬崇会長が第14回パンアメリカン日系人大会/第48回海外日系人大会の合同大会、インターコンチネンタルホテルのエドアルド・カマルゴ氏が新サービス、レナト・ナカヤ氏が100周年祭典協会のOSCIPの認定などについて案内した。

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メイレーレス中銀総裁が講演資料のホームページへの掲載快諾

4月9日にアメリカ商工会議所のGIE委員会(海外投資家グループ)で、メイレーレス中銀総裁は「ブラジル政府の今年の経済政策及び展望」と題して、貴重なプレゼンテーションと共に今後の経済の動向について講演、講演終了後すぐに、平田事務局長がメイレーレス総裁に、プレゼンテーションを日本語に訳して、特に日本在住の投資家、また進出企業の会員の方々にも是非見て頂きたいとの意向を述べて、メイレーレス総裁から商工会議所のホームページへの掲載許可の快諾を貰った貴重な資料で、同総裁の二コラ・ボルジェス補佐官から資料の提供を受けて翻訳した資料ですので大いに活用して下さい。

 メイレーレス中銀総裁の講演「ブラジル連邦政府の2007年の経済政策及び展望」(2007年4月9日のアメリカ商工会議所GIE会議-ニコラ・ボルジェス補佐官提供)