電気電子部会主催のデジタルテレビ説明会

電気電子部会主催のデジタルテレビ説明会が8月28日午後4時から開催、41人が参加して盛んに質問をしていた

電気電子部会(松田雅信部会長)主催のデジタルテレビ 説明会が、8月28日午後4時から5時30分まで、商工会議所会議室に41人が参加して三好康敦PRIMOTECH社長が講演した。篠原一宇副部会長が司会を担当し、ブラジルで地上デジタル放送の日本方式採用が決定して関心が高まってきており、多くの会員からのリクエストで今回の説明会が開催されたと前置 きして、三好講師の略歴を紹介して説明会が始まった。

初めに三好講師は、ハイビジョンで高品質の映像・音声を50インチの液晶テレビで、トリノオリンピックの競技の模様を16:9のワイド画面、高画質でCD並みの高音質の臨場感溢れる画像のデジタル放送の品質の高い映像・音声を見せた。

またアナログ放送で発生するゴーストや映像音声の劣化は、デジタル放送では発生しない点や視聴中の番組の関連情報、放送時刻変更でも予約録画が可能、リモ コンボタンの簡単な操作でニュース、天気予報や役立つ情報が即座に見られ、双方向サービスとして視聴者参加型番組やテレビショップでの買物など非常に便利 になると説明した。

またデジタルテレビの視聴方法として、アナログテレビに地上デジタルテレビ用チューナー接続すれば、ゴーストやノイズのないデジタルテレビ放送が可能になり、高解像モニターとチューナーの接続で、デジタルテレビの高精細な映像 と音声が可能になり、地上デジタルテレビ用チューナー内蔵テレビでは、アンテナ接続でデジタル放送が可能となる。

また日本方式は技術的に最も優れており、特に移動体やセルラー受信およびインターネットアクセスでは欧州式と米国式を圧倒、電波送信方法、同じチャンネルで複数のサービス提供、三つの変調方式でフレキシブルの対応できると説明した。

日本での地上デジタル放送の技術スペック決定は1999年で、2003年12月に関東・中京・近畿の三大都市圏でスタート、今年4月から1セグサービスが スタート、今年12月までには都道府県庁所在地で放送がスタート、2011年中頃にアナログ放送が終了、ブラジルでも10年後の2016年にはアナログ放 送が終了する。

日本方式採用の日伯合意書では、日本からブラジル側への技術協力、半導体・先 端技術産業の誘致、ジョイントべンチャーの奨励、テレビや中核部品の現地生産などブラジル電気電子産業へのバックアップ、ISDB-Tの円滑な技術移転の ための人材育成、共同開発で生じる新たな知的財産所有権の確保、テレビ放送のデジタル化に必要な設備・サービスの製造・流通のためのファイナンス支援など がうたわれているが、ブラジル側が主体で日本は協力並びに支援する。

またブラジル地上デジタ ルテレビ方式の概要は無料放送、1080走査線のHDTV、移動体および携帯受信、1チャンネルで固定・移動体・セルラー向け放送可能な電波の有効利用、 情報へのアクセスや遠隔教育などのデジタルデバイドの解消ツール、行政公示、教育番組、遠隔医療並びに社会関連の4チャンネル分の連邦政府の情報ツールを 含んでいる。

今後のブラジルのデジタル放送のステップとして、スペックの策定、既存の法規制 整備、放送事業者の送信インフラ整備、メーカーの受信機リリース、試験放送と進んでいくが課題も多く、一般市民への啓蒙、新技術によるサービスの可能性お よび経済性の評価、綿密に取組む必要がある放送事業者の投資計画およびスケジュールやローン販売も含めたチューナーの普及計画、個別利害で対立しやすい異 業種間の協力体制の構築など問題も抱えているが、アルゼンチン、ウルグアイ、ヴェネズエラもブラジルの日本方式採用で注目しており、大きなビジネスチャン スが迫ってきたが、韓国や中国企業も虎視眈々とターゲットを絞ってきているので、日本企業に大いにチャンスをゲットして欲しいと締めくくり大きな拍手が送 られた。

質疑応答では日本方式のラテンアメリカ普及への展開、2011年までに8,000万 台のチューナー需要に対する中国や韓国のブラジル進出、ブラジル政府の日本方式採用が憲法違反と騒がれているが覆る可能性、大学でブラジル独自の地上デジ タル方式開発の可能性、音声方式の違い、放送局の役割、アナログテレビでの双方向サービスの方法、開発スケジュール、マーケット規模など多種多様な質問が 浴びせられたが、分かり易いアドバイスも好評であった。

 

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関東自動車工業はブラジルに自動車部品工場を建設

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神奈川県下に本社を置く車体メーカーの関東自動車工業(安田善次社長)は、豊田通商(清水順三社長) との合併により、サンパウロ州サルト市に自動車用ブレス部品およびサブアッシー部品を生産するカンジコー・ド・ブラジルを設立、8月24日午前10時30 分からサルト市の音楽学校ホールで記者発表並びに懇親パーティーが開催された。

カンジコー社 は関東自が90%、豊田通商が10%出資して、トヨタの完成車組立て工場のあるインダイアツーバ市に近いサルト市に建設される。本社からは安田善次社長並 びに長屋信俊取締役、サルト市のジョゼ・ガルシア市長、商工会議所からは田中信会頭および平田藤義事務局長が参加した。

憩いの園の慈善バザー

憩いの園の慈善バザーが8月20日に開催、相互啓発委員会が会員企業に販売品の提供を依頼、バザーでの売上金を全額寄付した

社会福祉施設「憩いの園」は毎年8月第3日曜日の恒例のバザーを8月20日午前9時から午後4時まで同園で開催、相互啓発委員会(寺本久男委員長)は会員企業にバザーでの販売品の提供を呼びかけて、バザーに参加して売上金全額を同園の運営に寄付した。

同バザーは好天に恵まれて1万人以上が同園を訪れ、商工会議所からは寺本委員長、大滝昌之副委員長、平田藤義事務局長が視察を兼ね吉岡理事長を表敬訪問、柴田千鶴子事業班主任もバザーの状況を注意深く見守った。

憩いの園への協力企業は、日本スチール、JAL、住友化学、丸紅、Yamato Comercial、Fuji Photofilm、三井アリメントス、パイロットペン、Boxon、ツニブラ、ブラデスコ銀行

 

8月の懇親昼食会が8月18日正午から、講演者に西川りゅうじん氏を迎えて開催された

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8月の懇親昼食会が8月18日正午から、インターコンチネンタルホテルに117人が参加、西川りゅうじん氏が「ブラジルを日本でブレイクさせよう~2008年は日本移民100周年」を講演した。

2003年11月の懇親昼食会で「勝ち組,負け組み」と題して講演、大好評だった西川りゅうじん氏は、西川の苗字はよく漫才師に間違われ、先生とは先に生まれる人であり,ここでは私は後生ですと笑いを誘い、日本からの30時間のフライトは大変だったが、空港へ降りたとたん、あっちはボニータ、こっちはシンパチカでうろうろ、機中では暇を持余して、ついつい焼酎を飲みすぎてアルチュウーハイマー気味になっているが、ピンガは上手いと爆笑になった。

今、日本ではブラジル商品ブームの兆しが出てきており、2年後は日本移民100周年で大きなチャンス到来となるので、商品に付加価値を付けてブランド化すれば爆発的の売れる可能性もあり、また日本には28万人のブラジルからの出稼ぎがおり、ブラジルは世界最大の日系コニュ二ティがあるので、チャンスをゲットして欲しいと強調した。

日本市場を読み解くキーワードはあいうえおであり、あ=安全・安心であり、シンドラーのエレベーター、雪印ブランドも企業のコンプライアンス関連で地に落ちたし、村上ファンドもダメになった。

い=癒し、スローライフスタイルを提案する月刊誌「ソトコト」やLOHAS関連書籍が、売れており、特に2007年から一斉に定年を迎える団塊世代は,金も時間もあるから金時族と呼ばれ、不良長寿を目標に生きれば日本は元気になるといわれていますが、ブラジル人を見ていると皆ハッピーに見え、プータンの国家目標である国民総幸福(GNH)が先行しているのではと思える。

う=旨い,エ=選ばれる、お=おもてなし、お客様の立場に立って考え、一時が万事で小事を重くみて、一生懸命に取組むことです。ビジネスはWin Win Win=売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よしがベストであり、売り手と買い手が良くとも、世間が許さない事業が長く栄えた試しはないとビジネスのキーワードを説明して大きな拍手で講演を終えた。

懇親昼食会の司会は平田事務局長が務め、初めに講演者の西川りゅうじん氏、西林万寿夫サンパウロ総領事、武田幸子副領事がそれぞれ紹介された。続いて福田勝美金融部会長が、31日に開催される金融セミナーの案内をした。

代表交代ではSumidenso社の栗田誠四郎社長および渡部祐新社長、NHKファスナー社は鷲頭三郎社長および山内正直新社長、資生堂は植木健裕社長,ウジミナス社は中川博之晋社長、三菱商事の佐々木修晋社長がそれぞれ帰国および赴任挨拶を行なった。

3分間スピーチでは日本語センターの谷広海理事が日本語センターへの協力,栗原猛氏がドミンゴ・コンサートの案内、ナカジマ・ヒデノリ氏がFedexの新サービスについて案内を行なった。

企業経営委員会の8月の労働問題研究会

企業経営委員会の労働問題研究会が8月17日午後4時から開催、25人が熱心に聞入っていた

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企業経営委員会(石川清治委員長)の労働問題研究会が8月17日午後4時から6時まで、商工会議所会議室に25人が参加して開催された。

講師のライムンド・デ・ソウザ弁護士は「支出の戦略的管理」と題して、企業の財務ストラテジーとして、企業価値の創造を目指した経営が叫ばれて久しいが、 その原理原則は資源を如何に投資し、その資本コストを上回るキャッシュフローを上げるかに集約すること。 多くの企業がそうしたキャッシュフローを最大化 にする為の様々な改革に取り組みながら、企業分割、時下会計、連結納税等制度面の整備を進め、今後も更なる勢いを増すであろうグローバリゼーション下での 厳しい経営環境は、絶え間ない企業変革と容赦ない熾烈な競争を迫られている。

そのような市場 環境の中で、企業財務においても、従来の経理業務や資金の調達、運用といった側面から、経営戦略としての投資決定や事業価値の評価、新しい資金調達スキー ムの立案やリスク管理、そして配当政策や株価対策におけるコミュニケーション能力など、本来的な財務マネジメントとしての行動が必須となり、企業の舵取り を担う重要なマタ-となりつつある。また各部門においても、そのような財務的思考と意志決定のプロセスが確立しない限り、真の企業変革と価値創造経営の実 践は困難である。

21世紀を勝ちぬく企業の成長シナリオを財務的側面から考察し、企業価値を 高める戦略的な経営手法を選択して、事業の評価手法や経営資源の配分、それに伴う意志決定プロセス、そして「選択と集中」を実行し切る、企業行動の戦略的 財務の“仕組み”はどこにあるのか。果敢にその改革に取り組み、企業の活力と競争力を再び取り戻し、グローバルな成長へ向け変革 を推し進める先進企業のケーススタディを中心に、価値創造経営を実現する戦略的財務マネジメントを検証することが重要と強調した。

Ciesp支援、サンパウロ総領事館主催の西川りゅうじん氏の講演会

Ciesp支援、サンパウロ総領事館主催の西川りゅうじん氏の講演会が8月17日午後6時から開催された

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サンパウロ工業センター(Ciesp)支援、サンパウロ総領事館主催の西川りゅうじん氏の講演会が、8月17日午後6時からCiespビルの講演会場に200人が参加して開催された。

進行役は中谷アンセルモ国際課重役が務め、初めにCiespのクラウジオ・ヴァス会長、続いて西林万寿夫総領事が西川りゅうじん氏の歓迎の挨拶をおこなった。

西川りゅうじん氏は、初めに2008年は日本移民100周年にあたり、ここまでよくがんばってきた日系人に敬意を賞したい。また日系人を受入れてくれたブラジルに感謝、今では日本中でブラジルの魅力が紹介されており、ブラジルからの出稼ぎが28万人に達しており、中には大成功している日系人も多いと紹介した。

「入」とも見える2人組みのシルエットを見せたが、ワールドカップ決勝戦でのジダン選手の頭突きのシルエットであり、これをビジネスチャンスと見た中国人ビジネスマンは、デザイン登録をして1,500万円で売り出しており、商魂たくましいを解説した。

ブラジルとの試合では、ジーコ監督に敬意を賞して1点プレゼントしてくれた可能性はあるが、そのあとはブラジルサッカーの底力を見せられたが,ロナウジーニョ選手は日本製品とフランス製品のために活躍できなかった。それは試合直前までプレイシテーションに夢中になっており、またフランス製の子猫と毎晩遊んで体力を消耗していたので活躍できなかった理由を紹介して、笑いの渦に包まれた。

ブラジル選抜を率いたパレイラ監督が引退、だれも首相になると思わなかった小泉首相も9月に引退するが、離婚したままでファーストレディのいない首相ははじめてであった。小泉首相の後援会で引用したダーウインの言葉「生残る生物は変化に対応できる生物である」の言葉通り、ブラジル企業家はハイパーインフレを生き抜いてきた。日本も10年間失われた時期であったが、今後の大きな変化に対応できる企業が生残っていく。

小泉首相の引退に伴う総裁選で最も総理のイスに近い安倍晋三官房長官は、一度も大臣の経験がないので日本国民は期待と不安を持っている。総裁選出馬の麻生太郎外務大臣は日伯議員連盟会長で、昔サンパウロに1年間働いたことがあり、谷垣禎一財務相は消費税を上げるといっている。また民主党は風力発電といわれており、風が吹かないと動かない。

日本経済も漸く長い不況からの脱出の兆しが見えてきたが、タクシーの運転手さんに景気を聞いたところ、忙しいと答えが返ってきたので良かったですねというと、運転手さんは客を探すのに忙しいといっていたと笑わせた。

GDP2位の日本はあちこちでクレーンがたっており、また日本女性は掃除機で吸うようにブランド物を買い漁っているが、以前が良すぎた。2002年から新たな黄金期になってきたと政治家は言っているが,企業家も経済回復していると感じ、設備投資を考慮、銀行での貸出しや個人消費も伸びてきている。

日本の一家庭当りの平均年収は400万円、資産が4,000万円、金融資産が1,500万円で大きな市場があり、元気がないとはいえない。中国は世界の工場といわれているが、人件費が安いためであり、ブラジルは人件費が安く,資源やセンスなどを持っており、BRICsではブラジルと中国は共食いになる部分が多いが、日伯間では日本にないものがブラジルにあり,補完の関係にあり、インドでITが伸びたのは米国との時差であり、日伯間の時差もおなじであると説明した。

ブラジルから日本へは鉄鉱石、鶏肉、パルプ、エチルアルコール、大豆、オレンジジュースやマンゴーなど一次産品輸出が多いが、日本の輸入に占める割合は僅かに0.68%に過ぎない。物の見方の例えとして、ある商人がある国に行き、誰も靴を履いていなかったので靴は売れないと思い、他の商人は無限の商売のチャンスと感じた。ここがポイントであり、日本でチリ産ワインやアルゼンチン産ワインが売れており、特にチリ産ワインのブランドが高くなってきたが、ブラジル産ワインが日本で売れないわけがない。それは誰もブラジル産ワインを知らないからである。ブラジルの技術力を知ってもらう必要がある。日本市場で宣伝しなければもったいない。日本側の対応が目に見えて改善されてきており、商品に付加価値を付けてソフトウエア、ファッション、宝飾品、オーガニック食品や家具などを売込むチャンスであると強調した。

2002年から日本でのブラジルのイメージが変わってきた。健康でおしゃれなブラジルが注目されだした。付加価値の商品が正当に評価されだした。ブラジル人はブラジルの文化、や製品などに自信を持つこと、無尽蔵の資源、広大な国土、多種多様な文化などすごいの一言に尽きる。ブラジルには海外最大の日系コミュニティーがあり、日本には28万人の出稼ぎがおり、どういう風に売込むか調べやすいしコンタクトが取れる。

一方日本には資源もない、国土が狭い、文化は画一的でしかもサッカーも弱い、日本は何もないから工夫して、海外に売り込むしか方法がない。地上デジタル方式の日本方式採用や二酸化炭素排出権取引など日伯間の経済関係も増加してきている。

また日本ではニューズウイークやヴォーグなどファッション雑誌などで、カナリア色のブランド特集が組まれており、水着、ビーチサンダル、化粧品、靴やバッグなどハイセンスなブラジルブランド商品が人気を集めている。日本男性は美人のブラジル人モデルにイグアスーの滝のような涎を流しており、Havaianaのビーチサンダルをハワイ製品と思い込んでいる。ブランドの語源は焼きゴテであり、ブラジルが注目されてきている今の熱いうちに手を打たないとブラジル製品のブランド化にならない。

サッカーでもビジネスでもチャンピョンになるのは簡単ではないが維持するのはもっと難しい。また営業やマーケティングなどの攻めとロジスティック、財務、人事や品質管理などの守りの両方出来ないと勝てない。紳士服、女性服、子供服はそれぞれ売り方が違い、同じ方法で売ることはあり得ない。政治では有権者を見方に付けた政治家が勝ち、ビジネスは消費者を見方に付けたほうが勝ちである。

輸入再開した1月の米国産牛肉の最初の商品で危険部位が見つかり、約束を破ったと輸入禁止したが、8 月9日に再開された米国産牛肉に対して、80%の消費者が危険部位の混入を心配、50%は米国産牛肉を買わないと主張しており、日本では物づくりにおいて安全、安心、信用が一番重要である。

日本では健康や環境に優しいライフスタイル、LOHAS志向が強く、焼酎がヒットしたのは赤ワインよりも血栓を溶かす効果があり、今では日本酒の消費量を上回っているが、10年前はデートのときに焼酎を注文した男性は振られた。日本は世界中で健康に良いものを探しており、グァラナ、マテ茶、グァバなど健康に良いものがたくさんあり、ピンガが売れないはずはない。また日本政府はガソリン燃料へのエタノール混入率を3%から10%に上げることを検討しており、決まるまでに時間はかかるが決まると速いのでビッグチャンスであると強調した。

六本木ヒルズは住宅棟や映画館もあり、2003年の開業からすでに5,000万人が訪れており、家賃は100万円であるが30 代の若い経営者で一杯であり、来年開業の東京ミッドタウンは家賃が500万円であるが、競争率は30倍であり、そんな人にジェット機を買ってもらう。ハイエンド層をターゲットにして高いものを売る。また独身女性が多いので消費も大きくターゲットにすればよい。

表参道ヒルズは2月にオープンしたがすでに650万人が訪問しており、原宿や青山で最もおしゃれなところであリ、日本も多様化してきている。また日本人は人と違うことを求めており、サンタ・カタリーナ産ワインをオンラインショップで販売し始めたら良いのではないか、大きなビジネスチャンスが来ているのでゲットして欲しい。私はブラジル大好き人間であるが、アルコールが切れてきたので、燃料補給させて下さいと講演を終えた。

質疑応答では日本からなぜブラジルに留学生が来ないのか、日本は教育に力を入れてきたが、仮に大統領になったら何をするかなどの質問に対して、的を得たアドバイスをテキパキとしていて、大きな拍手が送られた。

異業種交流委員会議事録(第7回)

日時:2006.08.16
場所:群馬県人会館
出席者(ABC順):ABE・AKAMINE・MATSUDA・MINAMI・NAGANO・ NISHIOKA・SUZUKI・TAKEDA・YAMASHITA
記 ABE

【議事録】
1.会議所行事に不参加の会員へ、勉強会への継続的勧誘確認

2.次回以降の勉強会テーマ確認(別紙参照)

3.次回勉強会
・日時:9月21日(木)19:00~21:00
・場所:ブラジル日本語センター
・連絡係:西岡
・会計係:竹田
・会場および飲食手配係:板垣

4.勉強会参加者一覧表(別紙参照)

5.本日の勉強会テーマ
①『デジタルTVが開始されると将来どのような商売ができるようになるのか』+『ブラジルにおける携帯電話のワンセグ化は』(西岡さん)
②『Fiscal対策』(松田さん)

以上

相互啓発委員会主催のカシャーサセミナー

相互啓発委員会主催のカシャーサセミナーが8月16日午後4時から会場一杯の69人が参加して開催、試飲では3種類のカシャーサを飲み比べていた

相互啓発委員会(寺本久男委員長)主催のカシャーサセミナーが8月16日午後4時から、商工会議所会議室に69人が参加、初めに寺本委員長が講師であるカシャーサチェーン網アグアドーセ社のデルフィノ・ゴルフェット社長を紹介して始まった。通訳はアルベルト鈴木さんが見事な通訳振りを披露した。

ゴルフェット社長は製糖工場で長らく技師長として働いていたが、一般にカシャーサのイメージは安くて粗悪品も多く、飲み方を知らない重労働者が飲んでいたので、ブラジルを代表するこれほど洗練された飲み物を一般の人に飲んでもらいたいと思い、色々な種類のカシャーサ、多種多様なカクテルなど新しいスタイルの本物のカシャーサを提供する店名がアグアドーセというカシャサリアを16年前に、サンパウロから 527キロメートル離れたツパン市に開店したが、開店当時は正気の沙汰ではないと言われた。

通訳の鈴木さんがカシャーサの歴史の推移がプリントされたポスターを示しながら説明、
16世紀の初頭にアフリカから連れてこられた奴隷は、砂糖キビを煮詰めるほど甘くなり、辛い労働や故郷の郷愁を忘れるために舐めていた。また野放し飼いされた豚はカシャーソと呼ばれていたが肉質が固いために、砂糖キビの汁を煮詰めた液を豚肉の煮込み料理に使うと柔らかくなり、これが語源となってカシャーサと呼ばれるようになった。

16世紀中頃には土製の蒸留器、その後は銅製の蒸留器となったが、カシャーサの別名ピンガは蒸留器から雫が落ちる状態をピンガーヴァといい、これが語源になっている。17世紀には入ると消費者も増え始めて生産量も増加して商品価値が出てきて換金出来ようになった。

1635年には宗主国ポルトガル政府は、カシャーサの消費増加でブドウ粕から作られるバガセイラと呼ばれる蒸留酒の価値が低下したために、カシャーサの製造およびブラジルコロニアでの消費を禁止した。その後17世紀中頃、カシャーサ製造を禁止されたブラジルではナショナリズムが起こり、ポルトガル産ワインのボイコットが始まった。

17世紀末にはカシャーサの消費は認めるも、生産者には税金をかけ始めたが、1755年に発生したリスボン大震災では復興の大いに役立った。1789年に同志の裏切りから革命に失敗したチラデンテスは絞首刑にかけられる前に残した最後の言葉が「私の喉を故郷のカシャーサで潤してくれ」であったと言われている。

19世紀初頭には、蒸留技術も飛躍したために王室でも消費されるようになり、生姜を入れて温めたものをケントンと呼ばれるようになった。19世紀後半の奴隷解放後、カシャーサの人気が低下した。

1922年にはモダンアート週間で再び人気が出てきた。20世紀後半に芸術家の間で居酒屋(ボテキン)での飲料が流行、またブラジルの代表する酒として国際便やエヴェントなどで利用されるようになった。フランスはカシャーサをブランド登録しようとしたしたが失敗した。

21世紀にはフェジョアーダやサッカーと同様にブラジルを代表するブランドとなり、ドイツではカイピリーニャは、スコッチウイスキーよりも多く消費されており、13億リットルに達しているが、輸出量の0.40%に過ぎない。ブラジルでは45万人以上がカシャーサ生産工業に従事している。

ゴルフェット社長は、ミナスでは訪問客をもてなすために、少量のアランビーケを樽に入れて熟成させるが、2年以上熟成させる必要はないと強調した。また砂糖キビの品質、製造方法、最適な気候や土壌、美味しいカシャーサの選び方などを説明した。またサンパウロ市のアグアドーセチェーン網責任者ヴェンデール氏は美味しいカシャーサの選び方について補足した。

ゴルフェット社長は、ブラジル全土にカシャーサメーカーは5,000社ほどあるが、チェーン店では 200種類の良質のカシャーサを提供しており、毎年80社から100社が委託販売を希望してくる。カシャーサの選び方のコツは味覚が大きく左右し、自分の口に合ったものを選ぶこと。また2年おきにカシャーサオリンピックを開催して,選ばれたカシャーサがチェーン網で販売されるが、意識不明になるぐらいの種類を利き酒するので、これは本当に辛いと笑いを誘っていた。

カシャーサの原料の砂糖キビの刈り取りでは、アランビーケ用は砂糖キビ畑に火を入れないために、労働者が手で刈り取っており、刈り取った後は2日以内に絞り汁を作らなければならないために、製造量が限られるうえに人件費が高いために、値段が高くなると付け加えた。土壌作り、運搬、蒸留方法工程,アグアドーセの店内、料理、カクテル、カシャーサ博物館などをDVDで紹介、90年からミナス料理を提供、フランチャイズ店は90店舗以上になり、年間600万人が利用していると説明した。

質疑応答では砂糖用およびカシャーサ用の砂糖キビの種類の違い、アーグアデンテとカシャーサの違い、ピンガとカシャーサの違い、酒樽の材質などについて質問された。
4階に設けられた試飲会場に移る前に、寺本委員長からゴルフェット社長に記念のプレートが贈られた。

試飲会場に移った参加者は、用意された2年、5年および15年間熟成されたカシャーサやカイピリーニャを片手に利き酒をしたり、ゴルフェット社長を囲んでカシャーサのウンチクに耳を傾けて大変楽しいセミナーとなった。

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総務委員会とコンサルタント部会共催の安全対策ワークショップ

総務委員会とコンサルタント部会共催の安全対策ワークショップが8月15日午後4時から71人が参加して開催された

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総務委員会(松田雅信委員長)およびコンサルタント部会(渡邊裕司部会長)共催の安全対策ワークショップ「その時、どうする」が8月15日午後4時から6時まで、商工会議所に会場一杯の71人が参加して開催された。

渡邊裕司部会長が進行役を務め、講師の清水俊昭領事並びに退役大佐のコージ・ヤナギタLIFESEC社代表の略歴を紹介した。

清水領事は最近の治安情勢と安全対策について、誘拐事件発生率が増加してきており、犯行の9割以上で拳銃が使用されており、また多くの犯罪の動機となって いる薬物取引事案も増加、今後も薬物に起因する凶悪事件発生の懸念、5月から多発してきたPCCの暴動事件の推移などを説明した。

サンパウロ安全対策情報から抜粋の最近の邦人等関連事案では、航空から帰宅直後に襲われる拳銃強盗事件、赤信号停止中や自動車の乗車時の拳銃強盗、昨年減 少したが最近再び発生しだした振り込め詐欺事件の手口、朝夕に多く発生している誘拐事件についても詳細に説明した。また田中信会頭は最近のアルジャ・ゴル フクラブ付近での治安情勢について説明した。

対策として空港から戻る場合は尾行されていない かを確認し、尾行されている場合は最寄の警察などに立ち寄る。ラフな服装を心がけ、高級腕時計や装飾品を身に付けない。タクシーが停止する際には付近を警 戒し、不審者を認めた場合はそのまま走りぬけるように指示する。自動車運転中に遭遇する拳銃強盗の場合は、運転中はドアロックをかけ、窓を閉めておく。信 号や停滞で停止しなければならない場合は、必ず前車との間隔を車両1台分以上開けて停止する。

振り込め詐欺事件では、電話を切った後すぐに事実を確認、またすぐに現金を振り込まず、自分の家族や親戚などに相談する。また誘拐事件を避けるためには路 上駐車を出来るだけ避けて車両乗降時に周囲を警戒し、不審者を認めた場合は乗降車しない。PCC暴動事件では、ニュースなどで暴動発生の兆候を感じたら、 襲撃対象の警察施設などに近づかない。路線バスの利用を避け、暴動事件に遭遇したり、巻き込まれた場合は総領事館に直ちに連絡するなどのアドバイスをし た。

事件に遭遇した際の対処法として、身体的被害を被らないように絶対に逃走・抵抗を試みてはならない。相手の指示に従う。すばやい動きをしない。相手の顔を見ないことが重要であると結んだ。

ヤナギタ退役大佐はパワーポイントを用いながら、犯人にとっての目的は金品であり、犯人の大半は拳銃を所持しており、絶対に抵抗しないことを強調、信号で 停車中に逃げようとして撃たれたケース、財布を捜そうとして撃たれたケース、セルラーを隠そうとして撃たれたケース、リオ市では貧民窟への麻薬運搬用にア ストラ車がよく盗難に遭う事、防弾車乗車中でも逃げるスペースを開けておくこと、車をぶつけられてもすぐに降車しない。

空港への顧客の出迎えでは、搭乗入り口から乗車、駐車場まで顧客と一緒に行かない、いかがわしい車に尾行された時や目的地に近づいた時の注意点、出社時は いつも決まった道順は使わない、電撃誘拐事件やビル強盗遭遇を避けるための注意点などについて説明して、持参した3丁の拳銃の扱い方、参加者全員が拳銃を 持ったり、引き金を引いたりして、実物の感触を味わった。

質疑応答では強盗に遭遇した時に渡す財布の現金、通勤時のルート、カーフィルムの規制、治安改善、身分証明書提携などについて質問された。