法律委員会が5月9日に26人が参加

法律委員会(押切フラビオ委員長)が5月9日午後4時から6時過ぎまで商工会議所会議室に26人が参加、ジョゼ・オリベイラ副委員長が進行役を担当した。

トヨタ社のリカルド・アメリコ弁護士は「電子商業伝票とSPEDの概要」について、昨年から開始された電子商業伝票のモデルケースプロジェクトの19社の中の1社としてに参加、今年は50社が参加しており、サンパウロ州、南大河州やマラニャン州など6州でテスト中であるが、2008年には売上げ上位1万社の参加を義務付けており、将来は企業活動を行なっている全社の参加を義務付けている。

商業伝票は5年間の保管が義務づけられているが、電子商業伝票発行では物理的スペース、ブロクラシー、会計専門家などの節減やブラジルコストの削減などで有利となるが、システム(SPED)の採用によるソフト経費など問題も発生すると説明した。

ラッケル・アパレシーダ・ジェジュス弁護士は「スーパーレセイタの主要点」として、5月2日から国税庁と社会保障院(INSS)が合体して、企業の社会保障に関する徴収、引続きINSSで行なわれるサービスなどについて説明した。

アドルフォ・ベルガミニ弁護士は「商品の腐敗又は紛失ケースに於けるICMSクレジット返済の不能性」として、ICMSの負債及びクレジット、カンジール法との関係などについて説明した。

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2007年度異業種交流委員会議事録(5月)

日時:2007.05.10(木)
場所:ブラジル日本語センター
出席者(ABC順):ABE・AKAMINE・ITAGAKI・KANAZAWA・MINAMI・NISHIOKA・TAKEDA

記 ABE

【議事録】

  1. 勉強会テーマの今後の予定リストを配布。(担当:阿部)
  2. 各委員は業種別勧誘リストに基づき引き続き勉強会への新規参加者を募る。
  3. 次回担当者
    ・連絡係    大野
    ・会場/食事係 板垣
    ・会計係    竹田
  4. 本日の勉強会テーマ(参加者:15人)
    『ブラジルと中南米他国との文化の違い』(日立製作所 西岡さん)
    『ブラジルにおける多角化経営について』(YKK 西村さん)

以上

5月の懇談昼食会で元関取の若東関が「我が相撲人生と角界」と題して講演した

商工会議所の懇親昼食会が5月10日にグラン・ハイアットホテルに92人が参加して開催、ブラジルから日本の相撲界に入門して、苦節10年歯を食いしばって、関取と呼ばれる十両まで上り詰めた元関取の若東関が「我が相撲人生と角界」と題して講演した。

1976年サンパウロ生まれの若東関の黒田吉信氏の父親は相撲が大好きで、角界入りを熱望していたが、体格的に力士にはむいておらず、力士になるのを諦めブラジル移住、子供達に相撲を教えていたが、私は父親の影響で4歳のときからしこを踏んでいた。

15歳のときに相撲の名門校明大中野中学の一行が、ブラジルに来て一緒に練習する機会があり、そのなかの志賀太祐少年(後の栃東関)に勝ったために、玉の井部屋にも体の小さい力士がたくさんいるからと勧誘され、また志賀少年からも一緒に角界入りしようと誘われ、父親の夢の実現と自分の力試しに入門した。

しかし玉の井部屋に入門してみると、聞くと見るとは大違いで体の大きい力士ばっかりで不安になり、しかも志賀少年は高校に進学しなければならず、話が違うと思ったが後の祭りとなった。また部屋の女将さんが親方に、行司になる子が入門したのと親方に尋ねていることを聞いたので、更に不安が募った。

背が低くて新弟子検査に引っかかる可能性があるので、女将さんがスプレーで髪の毛を整えてくれて、そのうえに体重不足を心配されたので、水を数リットル飲んで新弟子検査にいったが、15人の同期生はみな体格がよく、合格しなければブラジルに帰ろうと思ったが、なぜか合格してしまいブラジル出身だということで、大勢のマスコミが取材に来ていてびっくりした。

しかし新弟子検査が終わるまでは、部屋ではお客さん扱いされていたが、合格したとたんに新弟子の辛い生活が始まり、朝は一番早くに起きて土俵で失神するぐらいきつい稽古、兄弟子の洗濯,ちゃんこの支度、兄弟子達が食べ終わるまで後ろで立って給仕、やっと食事にありつけたら残り物しか食べられなかったが、入門時は72キロくらいしかなかったので、兄弟子が後ろで見ており、無理やり食べさせられ、本当に歩けないぐらい「無理辺に拳骨」のごとくきつかった。

また兄弟子から聞いていた相撲教習所は厳しいといわれていたが、国技館の周りを三週走らされたが、痩せているので苦もなく早々と回って皆の到着を待っていたが、近くにいた指導の親方から皆が来るまで、腕立て伏せの姿勢での待機を命ぜられた。また痩せているので楽に腕立て伏せをやっていたが、10キロの砂袋を背中に置かれてやらされ、軍隊よりもきついと思った。

後援会の御贔屓の人がレストランで、300グラムの霜降りステーキをご馳走してくれたときは、2枚、3枚と食べてお腹が一杯になったが、もう1枚食べたら勝ち越しだよと勧めるので断れず、また5枚食べたら5勝だよと勧めるので無理して食べたが、その後暫くはステーキを食べる気持ちにならなかった。

また別の後援者から食事のはしごを誘われたときも、初めはすし屋、次に焼肉屋、その後中華料理で「ごっちゃん」で終わるかと思ったが、まだまだ痩せているからとケーキを三皿食べさせられたが、同期の力士におんぶして貰って、駅まで連れて行ってもらったこともあったが、今は一所懸命ダイエットしているが、一向に痩せる気配がなくて困っていると笑いを誘った。

12年間角界にいたが、怪我に泣かされ続けて膝を骨折して3ヶ月入院したときは、角界をやめてブラジルに帰ろうとおもったが、親方に励まされて一生懸命にリハビリをして十両に上がることができ、また後から入門した後の大関の栃東関が、兄弟子の私の世話をしてくれたり、一門の横綱の付け人をさせてもらって、よく可愛がってもらい他の力士から一目置かれたことなど、楽しい思いでも残っていると生真面目で謙虚な性格がにじみでた語り口に、皆は熱心に聞入っていた。

質疑応答で「思い出に残る一番」の問いに、十両昇進を決めた一番であったが、前日に後援者から食事に誘われても、明日の一番のことでガチガチに緊張していたが、普段どおりの相撲を取れと云われた事で相手の動きが良く見えて、十両昇進を決めた一番が印象に残っていると答えた。

またなぜそんなに日本語が上手な秘訣はとの問いに、部屋ではポルトガル語使用が禁止され、外国語を使うと拳骨が飛んできた。部屋では日本語しか使えないと外国人力士にとって、習慣、食べ物、解らない言語、上下関係の厳しい角界のしきたりなど日本人力士でも辛い角界に、涙と拳骨と郷愁に耐えていくしかないと答えていた。

若東関は2001年に十両(関取)に昇進、2003年に引退してブラジルに帰国、現在はリベルダーデ区ガルボン・ブエノ街にて、ちゃんこ鍋で有名なレストラン「ぶえの」を経営、自ら腕を振るっているが、強者の風格の中に温和で優しく謙虚な性格は皆から好かれて、レストランの繁盛に繋がっている。

昼食会の司会は平田藤義事務局長がリズミカルに進め、初めに招待者の元関取の若東関、特別参加の西林万寿人総領事をそれぞれ紹介、続いて山田唯資監事会議長が2007年第1四半期の会計監査を報告、寺本久男相互啓発委員長が6月1日から3日までのカマラツアーの案内、渡邉裕司コンサルタント部会長が5月16日のデザインセミナーの案内を行った。

双日の古橋正敏社長が帰国挨拶、山田浩次郎新社長が着任挨拶、丸紅の中村純一社長が帰国挨拶、日本スチールの浅賀健一社長が退任挨拶を行なった。新入会員紹会ではチガミ・アセソリア社の地上弥須夫社長、マツバラホテルのマリーザ・シバタ氏がそれぞれ挨拶を行なった。

3分間スピーチではパンアメリカンブラジル日系人協会の矢野敬崇会長が第14回パンアメリカン日系人大会/第48回海外日系人大会の合同大会、インターコンチネンタルホテルのエドアルド・カマルゴ氏が新サービス、レナト・ナカヤ氏が100周年祭典協会のOSCIPの認定などについて案内した。

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メイレーレス中銀総裁が講演資料のホームページへの掲載快諾

4月9日にアメリカ商工会議所のGIE委員会(海外投資家グループ)で、メイレーレス中銀総裁は「ブラジル政府の今年の経済政策及び展望」と題して、貴重なプレゼンテーションと共に今後の経済の動向について講演、講演終了後すぐに、平田事務局長がメイレーレス総裁に、プレゼンテーションを日本語に訳して、特に日本在住の投資家、また進出企業の会員の方々にも是非見て頂きたいとの意向を述べて、メイレーレス総裁から商工会議所のホームページへの掲載許可の快諾を貰った貴重な資料で、同総裁の二コラ・ボルジェス補佐官から資料の提供を受けて翻訳した資料ですので大いに活用して下さい。

 メイレーレス中銀総裁の講演「ブラジル連邦政府の2007年の経済政策及び展望」(2007年4月9日のアメリカ商工会議所GIE会議-ニコラ・ボルジェス補佐官提供)

ブラジル日本青年商工会議所はエンブラエルのヨコタ副社長を迎えて後援会を開催

ブラジル日本青年商工会議所(レアンドロ・ハットリ会頭)は5月9日午後8時から、ニッケイパレスホテルにエンブラエル社のサトシ・ヨコタ副社長を迎えて 後援会を開催、会場一杯の100人近くの聴衆がヨコタ副社長の話に耳を傾けていた。青年会議所メンバーは受付、会場、音響装置などに気を配り、素晴しい講 演会を開催し、商工会議所の会員多数が参加、事務局からは平田事務局長が参加した。

監事会が5月9日正午から開催された

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監事会は5月9日正午から午後2時まで、商工会議所小会議室に6人が参加、今年第1四半期の会計検査を行い、各種伝票、バランスシート、書類のチェックを行ない、今後の会計などについても意見の交換を行なった。

山田唯資監事会議長は前日の8日の午後一杯、商工会議所で書類や領収書関係を全てのチェックを済ませて、監事会の進行をスムーズに進むように準備を整えた。

出席者は山田唯資監事会議長、藤井敏晴監事、中村敏幸監事、平田藤義事務局長、エレーナ・ウエダ会計担当、日下野成次事務局員

半世紀を迎え躍進続けるKURASHIKI DO BRASIL

5月3日、KURASHIKI DO BRASIL(須賀治社長/前ブラジル日本商工会議所常任理事)は1957年に梳毛紡績のラニフィシオ・クラシキ・ド・ブラジル(LKB)設立から50周年を迎えサンパウロ市内のモファレージ・グランメリアホテルで盛大な記念式典を行った。

クラボウ本社から丹羽 旲(ひろし)取締役社長、松井一雄企画室課長等が駆けつけ又サンパウロ総領事館の丸橋次郎首席領事、上野アントニオ元連邦下議をはじめ取引先の顧客やディーラーまた銀行および会議所関係者等多数が出席、南大河州のサプカイアドスールとパラナ州ポンタグロッサの両工場から幹部社員も勢揃い会場を埋め尽くした。

丹羽社長の挨拶に引き続き須賀社長、丸橋首席領事が祝辞を述べた後、田中 信ブラジル日本商工会議所会頭がブラジルの過去50年の歴史を振り返り、幾多の困難を乗り越え、現在も尚、中国製品輸入による熾烈な競争に曝されている中、過去最高益(7億円)を確保したKURASHIKI DO BRASILを称え乾杯の音頭をとった。会食中、上野元下議の祝辞の後、西銘光男元総務取締役と平田藤義(現在、会議所事務局長)等がOB一言スピーチで会場を沸かした。

昨年1月LKBサプカイアドスールと1972年創立の綿紡コトニフィシオ・クラシキ(CKB)ポンタグロッサが経営統合してKURASHIKI DO BURASILTEXTIL LTDAを設立、品質重視を基本方針に全社挙げて自動化に取り組み利益強化を図っている。

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左は本社の丹羽 旲(ひろし)取締役社長、右はクラシキ・ド・ブラジルの須賀治社長

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本場のサンバショーで雰囲気を盛り上げた

『地方都市レジストロも市を挙げバイオディーゼルに』

 町おこしや市の再開発は世界のどの市町村でも共通な戦略課題として盛んに取組んでいる。サンパウロから200KM離れた地方都市レジストロの市長は現状の為替や世界市場における競争激化をただ単に手をこまねいて見ているだけではない。

  特産物の茶生産の危機的現状の打開策の切り札に再生可能エネルギー生産を選び家族経営農業強化に取組んでいる。つまり生産者は食用作物生産を維持しながら裏作として油糧作物も生産する世界のエネルギー危機を見据えた農業政策だ。

 今までにもバナナ等代替作物の技術支援や家族経営農家への融資支援を実施、今度は「茶」の代替として3000ヘクタールの農地を利用、投資可能な日本企業探しのため日本政府にも協力を要請している。

レジストロ市長レター
 

ニッシン・ブレーキ・ド・ブラジル(有)は5月3日にブレーキ新工場の定礎式を行なった

ニッシン・ブレーキ・ド・ブラジル(有)はイツー市に四輪向けブレーキ工場を建設、5月3日午前に建設地で定礎式が行なわれた。

ニッシン・ブレーキは1997年から二輪向けブレーキを生産しており、四輪用ブレーキの新工場建設は戸田建設(阿部勇社長-商工会議所の専任理事、異業種 交流委員長)が担当,品質、安全並びに工期厳守を誓って、新工場の順調な門出を祝い、年内に工場を完成して操業を開始、当面はホンダ向けに製品を納入す る。

定礎式には日信工業本社の阿部保社長、ニッシン・ブラジルの社長、イツー市長、ホンダ・サウスアメリカの峯川尚社長、総領事館から土肥克己領事、商工会議所からは田中信会頭、平田藤義事務局長など多数が参加した。

 

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