住金が高級シームレスパイプ製造合弁会社を設立

3月28日、住友金属工業(株)は、バローレック(本社フランス)とブラジルで、シームレスパイプを製造する合弁会社を設立すると発表した。合弁 会社は、高炉一貫の製鉄所を建設し、2010年半ばの稼動を予定、年産60万トンのシームレスパイプを製造する。合弁会社設立には住友商事も参画の予定。

世界的なエネルギー需要を背景に、石油・天然ガス開発に使われるシームレスパイプの需要は強く、生産拠点をブラジルに設置するのは、北米、中東やアフリカなどの顧客に近い立地条件の他、廉価な原料・エネルギーコストに恵まれているからだ。

粗鋼生産規模100万トン/年の高炉一貫製鉄所(製銑・製鋼ほか上工程設備、シームレスパイプ製造設、精製設備、他付帯設備など)の総投資額は2,000億円。

両者の強みである製管と継手技術を結集、最強の生産拠点の構築後、住友金属工業(株)は年産160万トンのグローバル供給体制を確立、鋼管事業の世界展開と差別化を加速する計画だ。

Pdf住金プレスリリース

企業内部統制監査のエキスパート 牧野卓司氏が活躍

日本での JSOX 法の発効に向け、企業内部統制監査のエキスパート 牧野卓司氏が活躍

 私は、監事として一時期、当会議所に協力してくれた牧野卓司氏と、図らずも先週、昼食を一緒にする機会に恵まれた。
同氏は日本の大学を卒業して渡米、オレゴン州ポートランド市で同国の有名監査法人に就職、同地で米国の公認会計士資格を取得後は、居をニューヨークに移し、別の監査法人ERNST & YOUNGに勤務かたがたコロンビア大学のMBAコースを卒業したというエリートコースを走る有能な新人(38歳)で、現在、同氏は、その監査法人から「日本に進出している米国企業を受け持つ同組織の内部統制監査業務の実施要員」として東京に派遣されて活躍している。

 北米では、エンロン(ENRON)やワールド コム(WORLD COM)の決算粉飾事件を契機として、企業の内部統制強化を規制したサーベインス. オックスレイ法が2002年の7月30日に成立しているが、日本でも、愈々来年2008年4月―2009年3月期から、その日本版(その法律は日本の業界ではJSOX法と略称されているとの事)が発効するとあって、それの基準への対応準備に株式市場上場企業が大童であるのは勿論、それを支援する監査法人事務所でも特に内部統制監査のエキスパートのオーバーワークの現象が起きているとの事である。

 会議所では、会員会社の半数が日本からの進出企業であるという事情もあり、北米、ブラジル、日本の3国間で「企業の内部統制監査への対応支援」の第一線で活躍している同氏との意見交換は、上記の事情の他に「監査部門での世界での最新事情」を垣間見るチャンスでもあった事から非常に有意義であった。

 今回は、同氏の滞在がごく短期間であった為そのチャンスに欠いたが、次回に来伯の際には、当会議所で「日本版 JSOX法の施行状況」を是非、全会員の為に披露して頂きたいと思う次第である。(以上、山田唯資監事会議長の談話より −2007年3月28日記)

 

第2回総領事館-会議所間定期会合

3月28日、総領事館と会議所は第2回の定期会合を開催、日伯間の経済関連課題となっているエタノール、デジタルテレビ、投資環境関連とりわけ知的財産権、移転価格税制や社会保険料二重払い問題などを中心に討議した。

この会合は昨年11月開催の官民合同会議で取り上げたテーマの解決に向け、双方でフォーローし合う目的から今年1月にスタート、第1回(1月16日に開催)に続くもので2〜3ヶ月に1回の頻度で開催する。

在ブラジリア日本大使館から佐野書記官も出席、直近の進捗状況について説明、活発な質疑応答を交え有意義な会合となった。

出席者(順不同)
大使館:佐野書記官、
総領事館:西林総領事、土肥領事、金沢専門調査員
会議所:田中会頭、福田専任理事、渡邉専任理事、宮田専任理事、田中一男専任理事、大前副会頭、山田監事会議長、平田事務局長

2007年3月の企業経営委員会の労働問題研究会

企業経営委員会の労働問題研究会が3月15日午後4時から25人が参加して開催された

企業経営委員会(石川清治委員長)の労働問題研究会が3月15日午後4時から6時まで、商工会議所会議室に25人が参加して開催された。

アメリカ商工会議所の社会責任戦略委員会のルーベンス・マザーニ委員長は「企業並びに個人の社会的責任」と題して、このテーマは企業にとって非常に重要であることを認識しなければならないと強調、グローバリゼーションがもたらすさまざまな弊害を解決すると共に、責任ある企業行動を国際的に進めるグローバル・コンパクト(GC),企業の社会的責任(CSR)の第三者評価基準であるグローバル・レポーティング・イ二シエイティブ(GRI),NBR16001/ISO26000などの企業への導入検討も重要である。

また人事部担当者は日常的に応用できるコンセイトの理解、共通の問題、環境問題、企業内勤務環境の整備、ボルンタリー活動のオリエンテション、積極的に地域社会に貢献できる企業活動などの導入について積極的に検討する必要があると説明した。

セミナー「日智EPA発効でどうなる」

コンサルタント部会及び日伯経済交流委員会共催のセミナー「日智EPA発効でどうなる」が3月14日午後4時から開催された

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コンサルタント部会(渡邉裕司部会長)と日伯経済交流促進委員会(大前孝雄委員長)共催のセミナー「日智EPA発行でどうなるか」が、3月14日午後4時から6時まで、商工会議所会議室に27人が参加して開催された。

第1部では在チリ日本大使館の杉本孝信一等書記官が「日智EPA〜その経緯と協定のポイント」と題して、初めに経済連携協定(EPA)と自由貿易協定(FTA)の違いについて、FTAは関税の削減・撤廃やサービスの障壁削減・撤廃を主とする協定に対して、EPAはFTAプラス人、物、金の移動の自由化など幅広い経済関係強化の協定、世界貿易機関(WTO)とFTAの関係については、WTOは全ての加盟国に対して関税を等しく削減するが、加盟国が多すぎてラウンド交渉が纏らないが、FTAは二国間の関税撤廃で締結が速やかに行なえる。

日本は資源供給国と安定供給確保のためにEPAを進めており、メキシコ、マレーシアとは協定発効、シンガポール、フィリピン,チリ、タイ、インドネシアとは大筋合意して、アジアでのEPAが進んでいる。連携交渉では物品関税、人、物、金の自由化交渉、知的財産などのルールつくりやビジネス環境整備などが、交渉の柱になっている。

チリは早くから自由貿易協定を実施しており、米国、EU、カナダなど40カ国以上とFTAを締結、アジアでは韓国、中国と締結済みで、チリでは乗用車以外日本ブランド製品に接する機会が少なく、韓国ブランドが目立っており、チリとの経済協定締結で日本企業による対チリ貿易・投資環境の改善が期待でき、銅、モリブデンなどの鉱物資源の安定供給確保、南米地域への経済進出拠点の確保が図れる。

日チリ経済連携協定の合意内容として、鉱工業部門の日本への輸出では、10年以内に関税撤廃、輸入では自動車、一般機械、電気電子製品の即時関税撤廃、農林水産関係ではワイン、サケ・マスの段階的関税撤廃、牛肉、豚肉、鶏肉などの関税割当設定、緑茶や日本酒の関税撤廃で、日本からの輸出額の99.8%が無税、輸入の90.5%が無税になる。

物品以外の分野の合意内容では、投資保護強化とより自由な投資枠組みの整備、金融サービスの貿易自由化、商用目的及び一時的滞在の円滑化、政府中立つ手続き参加の促進、知的財産保護制度の透明性の運用、ビジネス環境整備委員会の設置などで合意していると説明した。

第2部ではジェトロ・サンチアゴの大久保敦所長は、「チリFTAネットワークとビジネス機会」と題して、チリはFTA先進国であり、米州店・欧州では大半の国と締結、アジアでのFTA推進で物流コストの低減、アジア市場の輸出開拓、アジア・中南米間貿易投資ハブを目指しており、FTA締結と並行して拡大する租税条約ネットワークで、投資・配当コスト低減により中南米広域ビジネスの誘致、また航空協定締結促進で、人の往来を促進して二重課税防止条約効果を補完、チリの強みに欠かせない生鮮食料品の航空輸送の確保している。

太平洋に4,300キロメートル以上の熱帯から南極近くまでの海岸線を要するチリは、海産物の宝庫であり、日本へは輸出の12.7%を占める海産物・加工品、10%のサケ・マス、魚粉やウニなどを輸出、銅鉱石を筆頭に鉱物・金属は輸出の75%を占め、日本からは自動車・部品・オートバイが輸出の半分、一般機械が17%を占めている。

日本側から見たチリの位置づけでは、チリのメリットとして、資源が豊富で世界的な食料生産適地、資源・食料の輸出余力、ポテンシャルの高い資源・食料産業向け機材・エネルギー供給ビジネスなどが挙げられるが、デメリットとして国内市場規模が小さい、限定的な日本の対チリ輸出、製造業への投資が少ないであるが、チリは日本製自動車の重要マーケットであり、低リスク市場でビジネスがし易いし、中南米のテストマーケットでもあり、FTA締結で鉱山用機械、紙・パルプ工業用機械、農業用機械などで更に競争力がつき、エネルギー・プラント需要が急増しており、発電・送電、LNG調達プロジェクトが期待できる。

教育熱心な国であり良質なエンジニアの確保が容易であり、多国籍企業がコールセンター、IT開発拠点や業務統括拠点を設置しており、銅、リチウム,ヨウ素などの埋蔵量は世界一であり、対アジア資源供給基地となり、地中海性気候で世界の僻地が逆に病虫害の被害が少なく、果樹栽培で養ったノウハウを生かした多種多様な食糧供給のメリットになっており、食料供給確保の観点からも、日本にとってチリとのFTA締結は重要と強調、また締結後の今年10月2日〜6日まで、サンチアゴの有名なイベント会場で「日本産業技術フェア」開催および参加企業募集を案内した。

3月9日の定例懇親昼食会

定例懇親昼食会が3月9日正午過ぎから117人が参加、プラティニー元農相が「ブラジルに於けるアグリビジネス」について講演した

定例懇親昼食会が3月9日正午過ぎから2時過ぎまで、マクソウド・プラザホテルに117人が参加、農相、商工相や鉱山エネルギー相を務めた、FIESPの農業部門上級審議会メンバーのプラティニー・デ・モラエス氏が「ブラジルに於けるアグロビジネス」と題して講演した。

プラティ二ー氏は1960年から80年代初めまでブラジルと日本の蜜月時代で、1965年には日本から「人を通した技術移転」と言われ、「ウジミナス学校」と呼ばれて職業訓練学校の役割を果たし、日本の製鉄プラントを初めて海外に移転、また1983年には川崎製鉄のバックアップでツバロン製鉄所を建設したが、80年代以降は空白が続き日伯貿易は停滞してしまっていた。

しかしブラジルの貿易は好調で、昨年の貿易黒字は460億ドル、農業部門の輸出総額も420億ドル以上であるが、農業部門の対日輸出は僅かに10億ドル前後で、鉄鉱石やアルミが多く、日本からの輸入は自動車部品、ベアリング、ICや車で輸出入品目は全然変わってないが、変える必要がある。農産品の対日輸出は停滞しているが、中国、ベトナムや、マレーシア、タイやインドなど日本以外のアジア諸国への輸出は伸びている。

なぜ日本はブラジル産牛肉を買わないのか。口蹄疫がアマゾンで発生したが、この広いブラジルのアマゾンは牛肉生産地帯から隔離されており、184ヵ国ではブラジル産の美味しい牛肉を輸入しているが、日本は融通の効かない食品衛生保護主義国である。口蹄疫は人には移らないが、牛凶病と呼ばれる牛海綿状脳症(BSE)は人に感染するが、アマゾンの奥地で発生した口蹄疫でもブラジルからの牛肉輸入を認めていないのは、食品衛生保護主義に他ならない。

ブラジルの牛は、放牧地で牧草のみを食べて非常に健康であるが、オーストラリアの牛は、トウモロコシばかりでトウモロコシの味がするのでバーべキュウソースをかけて食べるが、ブラジルの牛は岩塩だけで非常に美味しい。日本からブラジルに出張で来る日本人は、シュラスカリアでいやというほど牛肉を堪能して評判がいいのに、どうもブラジルは牛肉の売り方を知らないのではないか。ドバイで牛肉のプロモーションをした時は、シュラスコとカイピリーニャを組合わせたら、アラブ人には人気が高かった。

牛肉の輸出先では、ロシア、エジプト、ブルガリア、イラン、アルメニアと意外な国が多いが、食品衛生保護主義の日本と米国を筆頭に、カナダ、メキシコも買ってくれないが、ブラジルは日本、米国、韓国、台湾をターゲットに、付加価値を付けて新しいマーケットの開拓を予定している。

忘れてもらっては困るのは、ブラジルは世界で最後に残された農業開拓が可能な国であり、世界最大の食料供給国になれる国であり、資源供給確保と同じように食料供給確保も非常に大事な事を確認しなければならないと警告、政府から手厚い保護を受けている日本の農家は世界一の補助金を受けており、金だけ出せば簡単に食料を確保できると考えていると足元を掬われるので、食糧確保に手を打っておかなければならないと強調した。

昼食会では初めに特別ゲストのプラティ二ー・デ・モラエスFIESP上級審議会メンバー及び西林万寿夫総領事を紹介、第12回ブラジル日本経済合同会議の参加報告として、田中信会頭は話題としてはエタノール関係、岩村哲夫副会頭の移転価格税制(TP)のプレゼンテーション及び大蔵次官がTPの検討を約束、JALのエンブラエル社のジェット機、購入新しい話ではフルラン開発商工相が牛肉の日本向け輸出表明などであった。

新入会員紹会ではCisaトレーティング社のアンドレ・マッソン氏、DPZ広告代理店のロベルト・ヅアイリービ氏が自社紹介、対会議所代表ではブラジル日本青年商工会議所のレアンドロ・ハットリ新会長、3分間スピーチではジェトロの井澤俊和氏が、 3月15日に東京で開催されるアマゾナス日系商工会議所の山岸照明会頭の講演会「マナウスのゾーナフランカの今後」の案内、6月10日に実施されるビジネス日本語テストの案内、第12回ブラジル日本経済合同会議のジェトロの発表資料はジェトロサンパウロのポルトガル語サイトに掲載を案内、飛入りでマクソウドホテルのぺーロラ広報担当がシアターの案内、イエローページ社広報担当が同社の事業内容及び活用について、窓際OL作家の斉藤由香氏がブラジルのパラー州トメアスーをベレンから船で訪問、日本移民の苦労の足跡訪問で感激したことなどを報告した。

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