インタビュー記事「学界の大多数が革新的であろうとしている」グラウシウス・オリヴァCNPq議長

グラウシウス・オリヴァCNPq議長インタビュー

CNPq議長は、優れた才能を持った人材を国外に派遣することは、ブラジル国内の高等教育の低迷を打破することにつながるだけでなく、安寧な環境の惰性から目を覚ますことにつながると話す。

2011年7月の国境なき科学計画(シエンシア・セン・フロンテイラ)の立ち上げ以来、物理学者のグラウシウス・オリヴァ氏(53)は、イニシアティブの巨大さに相応の、複雑な判断が日常的に求められている。2年前に同氏が議長に就任した政府機関の国家科学技術開発審議会(CNPq)に関する案件だけで、世界中の優れた大学に送り出される生徒数は、2014年までに20倍にも増加する。計画の率いる者として、オリヴァ氏は既に、立ち上げに伴う挫折を克服し、イノベーションが最高度に洗練されている国と個人的に親睦を深めてきた。ロンドン大学で構造生物学の博士号を取得した―この分野はサンパウロ大学(USP)のサン・カルロス・キャンバスで現在も研究を続けている―同氏は、世界の学界のトップとの共生が不可欠だと受け止めている。「私は、よりグローバル化した世代が、ブラジルの大学を良い意味で引っかき回すことを期待している」と、同氏は言う。以下は、ベージャ誌によるグラウシウス氏のインタビューである。

国境なき科学計画が提供する留学枠が候補者不足に陥っているのはなぜでしょう?

その事態は、多くが安寧な環境で過ごしている修士と博士の学生の多く、大学院が中心です。彼らは、既定路線を外れた桁外れの野心を持たず、さほど重要でもない内容を連ねた論文を年に1部か2部ほど発表することで生き長らえようとしています。その集団は安定的で予測可能なルーチンにすがり、自身を駆り立て、外国で学ぶことに大きなインセンティブを持ちません。

世界的に優れた大学に今派遣している人材がブラジルに帰国するに当たり、このような環境を作り、継続することに尽くしてきた身として、どのようなことを期待されますか?

私は、彼らが良い意味でブラジルの大学を引っかき回すことを期待しています。手始めは、もはや古ぼけた、化石のようなモデルに依然として支えられている学位からです。より高い評価を受けている学界、USPのような大学でさえ、取り残されます。私たちは、退屈で説明ばかりの過剰な授業をベースにした極めて長時間の勉強を学生たちに強いています。世界的な学界のトップにおいてまさに私たちとは逆方向に向かって進もうとしていることは、私たちがいる世界の壁から外をのぞき見るだけで十分に理解できます。彼らは、19世紀に張り付いたままの教室から離れ、挑戦的なプロジェクトと、極めて高いレベルの解釈と論議の輪の中に学生を導いています。

最近、国境なき科学計画によるブラジル人留学生の奨学金の遅配問題が表面化しました。しかも、今回が初めてではありません。なぜ、問題が繰り返されるのでしょうか?

今回のケースは、給付される奨学金の規模からするときわめて稀ですが、受け入れ難い問題であるのも事実です。この問題は公共部門の官僚的な手続きの産物です。それがどのように機能するのかを見てください。支払いが遅れた資金は、生活コストがより高い都市で生活している学生に対する追加資金でした。追加予算のため、運用される金額を修正するには規定を公示する必要があり、しかも司法のふるいにかけられる必要があります。進捗が見込みよりも遅れるところとなり、学生たちは4か月にもわたり、お金を目にすることができずに過ごすことになりました。壮大な計画の足元をすくいかねないことで、この問題は繰り返してはならないものです。

大学の側からこの計画に抵抗はありましたか?

最初はありました。一部のコーディネーターと教授は、疑問の声を上げたものです。「何ということだ。我々の最高の頭脳を手放すというのか?」と。彼らは、その一歩先を予見できなかったのです。しかし彼らもこの計画に精通することで、みんなにとって良いことだという意見に傾きました。一部は現在も不満を訴えていますが、それは計画に組み入れられなかった人文科学の人たちです。排除する理由を知りたいと質問する反対者からeメールを受け取らない日がないほどです。私は、これらの人たちに、人文科学向けの奨学金が消滅するわけではなくむしろ拡大しているものの、その他の分野ほどの規模ではないというだけだと説明しています。国境なき科学計画で我々は、確かに、適切な分野と生物医学分野を選択しました。というのもブラジルは、イノベーションを起こして国際的な競争に参入するには、この分野で才能ある人材を必要としているのです。

なぜ、世界の技術革新ランキングの最新版でブラジルは58位だったのでしょう?

何よりもまず、これは、先進的な国々と比較した場合の歴史的な後進性の表れであり、ブラジルで最初の大学が設立される数世紀も前から彼らは知識を涵養してきたのです。70年代まで、ブラジルの自然科学は国際舞台では目立たない存在であり、貧弱なインセンティブにもかかわらず知識を探求することに身を投じる、ひと握りの英雄たちの冒険の場でした。科学的生産活動のためにようやく堅固な基盤が整えられた際、別の要因が壁となって立ちはだかりました。その1つは、調査テーマの選択において照準が定まっていないことでした。

それは、イノベーションに対して引き続き不利に働いている要素でしょうか?

大いに改善はされています。一例を挙げましょう。ブラジルの自然科学がまだヨチヨチ歩きをしていた時代、学界の柱はこうでした。曰く、「とにかく生み出せ、それが何であろうと、何のためであろうと」。ブラジルの自然科学は常に極めて売り手の論理であり、まずはどのテーマを研究するかがありきで、そのテーマに誰が関心を持っているのかはその後のこと、という考えが支配的でした。現在では幸運にも、応用することが可能な自然科学を扱う具体的な課題に取り組む研究者が次第に増えています。しかし、大学の中枢で中身のないテーマが消滅しても、一部の人は、自身の信念によりゆがんだビジョンを持ち、依然として古いイデオロギーの御旗の影響を受けています。

そのイデオロギーの御旗とは?

マイノリティーですが、それでも、民間部門に歩み寄ることに依然として共感を抱かない人たちが学術機関にはいます。彼らは、古い題目を常に繰り返し掲げるのです。「資本主義のサービスに公的リソースを割くのはやめよう」とね。イデオロギーに関する議論に対してこのレジスタンスの総本山は、歴史的に学会とブラジルのイノベーションから企業を遠ざけて続ける役割を担い、その結果として、ブラジルがこの分野のランキングで低迷することに貢献してきました。もしあなたが現在、いくつかの教育団体と話をするなら、恐らくは、よく知られた反資本主義者のスローガンを耳にすることでしょう。しかし私は再度、言いたいのです。イノベーションを求める多数派の意見を、もはや彼らは代弁していないのです。

世界的に見てより革新的な国々では、研究開発(R&D)に対する投資の大部分を出資するのは民間部門であり、政府ではありません。ブラジルがこれらの国と異なる理由は何でしょう?

ブラジル企業は、競争が緩やかでイノベーションに対するインセンティブが存在しない、大規模な保護貿易主義の下で発展してきました。財界は、研究機関どころかインフレにより毎日のように価額が修正される通貨にすら強い信頼を寄せることがない状態で、富を生み出すまでに数年も要する新技術の開発に、相応の認識を持つことなどありませんでした。しかし、その状況は変化しています。それも、急速に。

あなたの、このような確信を裏付けるものは何でしょう?

サンパウロ州工業連盟(Fiesp)と全国工業連合(CNI)のような団体と会合を持つと、イノベーションの必要性について国内の実業家のトップが語るのをいつも聞かされる。彼らは、文字通りアクセルを踏んでいるのです。今の世の中では、イノベーションなくして誰も競争力を持ちえないのだということが分かります。ブラジルは、特許を出願する研究機関の中で大学が―この場合はカンピーナス大学(Unicamp)ですが―、トップに立つ、唯一の国です。民間部門こそ、新技術の開発をリードすべきなのです。政府の側は、信用供与と法的安定性、イノベーションに対する税制優遇政策を保証するのが役割で、しかもこの減税措置は世界貿易機関(WTO)において広範囲に適用することが認められているイニシアティブなのです。

ブラジルの博士号取得者の大多数が民間部門ではなく大学に勤務することを好むのは、より先進的な国でも極めて一般的なことでしょうか?

長期にわたって企業内でのチャンスに恵まれていなかったですし、同様に、ブラジルの学識者たちが学術研究の場に止まろうとする惰性を打破しようとする運動もありませんでした。既に話したように、学界においては、わずかな野心、そして快適なエリアを超えて進んで行こうとする意欲のなさが同居している領域があります。大学そのものが、研究者が去っていくことにインセンティブを与えていないのです。ある企業から雇用の申し出があった場合、アドバイザーが、「私の博士を盗んでいく気か?」と話すのを聞くのは、別に珍しいことではありません。偉大な研究者は時に、産業の生産性を高めるためにハイレベルの専門家を育成するという、学界の根源的な役割を忘れてしまうのです。

能力主義の原則は、現在のブラジルの大学に必要ないのではありませんか?

賃金の平等は公共サービスに固有の存在です。迅速に作業を進める裁判官は、行き当たりばったりで訴訟を混乱指せる裁判官と同じ給与を得ているのですが、それと同じ屁理屈が、公立大学にも当てはまります。私の立場は、努力と独創的な才能を確実に見出そうとする試みに、既存のシステムの中で、現実的な方法で道筋をつけることにあります。

CNPqとCapesは研究グループの結果の水準を客観的に評価する優れたメカニズムを構築しており、より高度な成果に報いるための予算も確保しています。この資金は、研究者と研究所に贈られます。能力主義の原則を抑圧するブラジルの法律のあり方が反映していることが問題なのだと思います。

何か例示していただけますか?

もし私が大学の研究グループの主任だとしましょう。1人の欠員があり、その役割に完璧にマッチするある専門家を見出したとしても、その人を雇うことはできないのです。法律で禁じられています。採用には、採用試験を通じた公募が求められます。米国では、規定はより柔軟です。プリンストン大学あるいはハーバード大学の教授を選ぶことができ、しかも、獲得に向けてよりアグレッシブな条件を提示することも可能です。優れた教授がいることが、好循環につながることは誰でも知っています。彼がいることでより多くの学生が集まり、プロジェクトが立ち上げられ、大学に資金がもたらされるからです。

優れたブラジルの科学者たちは、大学における官僚的な過度に煩雑な手続きに不満を表明しています。あなたも、その考えに賛同しますか?

疑問の余地もありません。公立大学に対する民間の寄付がどのような手続きを踏むか、ひとつ、例え話をしてみましょう。これらの予算は、公共サービスの水準に応じて支出される必要があります。言い換えますと、もし私が自身の調査で必要な機器を購入しようとする場合、それ以前に入札を実施しなければなりません。そしてこの場合、常に、最良の価格が提示されたものを優先するという決まりがあり、ご存じのように、それが常に科学的に見て最善の判断を下すのに最適な基準という訳ではありません。しかも悪いことに、寄付金は、それが使用可能になるまでに時には1年を要することもあり、結果として研究プロセスを進めている研究者自身にとって、貴重な知的活動の時間の浪費につながります。

2013年の公立大学採用枠のほぼ半数は、割当制の恩恵を受けた生徒で満たされました。あなたはこのイニシアティブを支持しますか?

この政策の効果はポジティブになり得ると考えますが、政府は、必要とされる質が完全に満たされた状態を維持すべく、その結果を注意深く見守る必要があるでしょう。過去に米国でより柔軟なシステムが採用されましたが、これはトップにいなかった学生を励起したのですが、その恩恵を受けた人たちは高等教育に挑戦するに値する成績を納めていました。

私自身、疑問に思いますよ。社会的弱者に一定の定められた比率で入学枠を設ける必要があるのか、と。しかも、その比率が50%であるべきなのかとね。それが20%なら、あるいは30%なら? もし入学基準が低すぎれば、能力主義の原則が崩壊します。それを回避するためにこのイニシアティブの推移を見守る必要があります。

この入学枠制度を修士課程にも拡張すべきと主張する人たちがいます。あなたは、この人たちに賛同しますか?

あり得ませんよ。それは何が不可欠なのか考えるのをやめたアフリカ系市民グループが扇動した運動です。学士課程を修了後、当初の学業における差は、既に消滅しています。もしその差を埋められなかったのであれば、不幸なことですが、これらの人たちは博士課程どころか修士課程も望むべくはありません。この崇高な場所は、イノベーションと富の創出のために高い能力を持ち、知のフロンティアで活動することに対して真に十分な準備を続けてきた人たちのためにあるのです。

2013年3月25日付 ヴェージャ誌

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