第17回ラテンアメリカ外務省研修生OB会会議は、2020年11月3日午後7時からの開催式から5日後8時30分の閉会式でのアルゼンチン研修生OBのカルロス・ホカマ氏の子息であるアルゼンチン歌手、ガス・ホカマ氏のライブで終了が予定されている。
初日の3日は、サンパウロ総領事館の桑名良輔総領事の開催挨拶後に、チリの紹介として、日系人口3,000人、日系人の活動として日本祭り、敬老会、ひな祭り,こどもの日、花見など日本文化や日本食などの紹介が行われた。次いでアルゼンチンに日系人口は6万5,000人、日系アルゼンチン人の歴史は1908年から1909年にかけて、沖縄と鹿児島から移民から開始。沖縄、北海道、広島や秋田からの移住が多い。花卉栽培やクリーニング業従事者が多く、日本人の多い地方では、県人会や日本語学校等の組織が作られ、日系コミュニティ形成と連帯の中心的役割を果たした。戦後、アルゼンチン生まれの日系人の社会的地位が向上。多くは大学以上の教育を受けて専門職、技術職に就き、キャリアは多様化している。
ウルグアイの日系人はモンテビデオ市を中心に約500人で、移住当社は花卉栽培従事者が多かった。花卉栽培の他、医師、公務員、実業家等として多方面で活躍。在ウルグアイ日本人会は唯一の日系団体で日本語講座、武道教室、和太鼓教室等で日本文化の普及活動を行っている。
ブラジルは1908年の笠戸丸で781人がコーヒー栽培で移住。日系人口はサンパウロ州を中心に200万人。1965年以降に300人が日本へ国費留学。ベネズエラには1世から4世迄日系人が300人~350人。1928年に矢澤精次郎氏が初めて移住。他のラテンアメリカ諸国からの再移住者が多い。
パラグアイには1936年に初めて移住。1世から4世迄約7,500人の日系人が在住。日系協会は10団体でエンカルナシオン、ラ・コルメナ、ピラポ並びにイグアス移住地では日本語学校や日本人会が活動。ドミニカ共和国の日系人口は約1,000人で大半はサント・ドミンゴに在住、農業以外の事業をしている。
最後に22歳でブラジルへ移民した空手家の町田嘉三氏と4人全員が空手の選手という格闘一家の紹介では、有名なニュースキャスターのケンゾー・マチダ氏は、外務省研修生として2017年に訪日した素晴らしい経験を紹介。元UFC世界ライトヘビー級王者のリョート・マチダ氏も日本のすばらしさを紹介。タケ・マチダ氏は日本の地下鉄でバックを忘れたが、バックの中に入れてあったパスポート、現金など全て返ってきた経験を語った。シンゾー・マチダ氏は日本の教育の素晴らしさを披露した。最後に父親の町田嘉三氏は、1968年にベレン市に移住。波瀾万丈の人生を歩んできたが、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」と夢を忘れないことの大切さを語った。
4日はユーチュ-バーのピティ・コシムラ氏は、「日本の奇妙で変った事」として、誰も教えてくれない日本に行く前に知っておくべき事として、ブラジルのような新聞・雑誌販売店はない。富士山のイメージは季節で大きく異なる。電柱大国。多元性などについて説明した。
グーグル日本法人マーケティングディレクターの武藤健一郎氏は、「日本の労働」として日本人にとって重要なこととして、おもてなし精神、匠の技、改善、皆が好きなものが好きの画一的傾向。男女の昇給や賃金格差。93%はスマートフォン所有もインターネットが使えない矛盾。働き方改善は可能であるが働き方改革には時間が掛かる。外国人旅行者増加や少子高齢化による外国人労働者の受入れ拡大で日本人の見方が変化。また色々なアイデアを持った外国人による起業も始まっていると説明した。
元サンパウロ総領事の駐アルゼンチン日本国特命全権大使の中前隆博氏は、菅義偉総理の今後の日本外交として、日本と世界の外交関係、日本とラテンアメリカ、カリブ諸国との外交関係、アジア近隣諸国との関係、石油供給依存の中近東、中長期のグローバル経済関係や協力体制など多岐に亘って説明した。
質疑応答では、訪日前の訪日後の日本に対する印象の変化。日本企業の外国人労働者の立ち位置。ラテンアメリカにおける日系人の重要性。日系人に与えた日本文化の影響。日本でのスタートアップや外国人による創業のチャンス。日本における外国人労働者の受入れ体制などが挙げられた。