パラ州ビジネスミッション

■全体を通して

国土面積は日本の22.5倍、州単位でも数倍あるところも珍しくない。ブラジルはそんな国である。日本企業が多く集積するサンパウロに住んでいると、「知ったつもり」になっていることも、実は「よく知らなかった」ことが往々にしてあることに新鮮な驚きを覚えることが多い。カマラとジェトロで共催企画した今回の「バラ州経済ミッション」も発想の出発点はそこにあった。

新興国ブラジルはその発展に伴って地方の経済的魅力も増している。実際に外国企業は着々と布石を打っている。まずはその実態を見てみようという積極的な気持ちにご賛同いただいた企業が多く集まり、募集定員一杯の参加者から構成される立派なミッションになった。3日間の活動で視察できたのはパラ州のほんの一部ではあるが、トメアス農協、アルノルテ社、アルブラス社、ヴィラデコンデ港、スーパーY.YAMADAなど経済活動の主役となる事業体の幹部と交流しその歴史、ビジネスモデル、規模感を実感できたこと、また、パラ州政府の企業誘致の熱意に触れたことはブラジルの地方を理解する上での大きな助けとなった。

本ミッションへの期待は大きく、各訪問地で一方ならぬ歓待を受けた。願わくば、これを機会に日本企業との間に新たなビジネスが生まれ、パラ州との継続的関係に発展してくれることを期待している。その可能性を今後しばらくは追い続けることが残された仕事と考えている。関係者、参加者の皆さんに今一度感謝の意を表します。(終) (ジェトロサンパウロ事務所 所長 石田 靖博)

相互啓発委員長の感想文

トメアスの地に足を踏み入れる機会を得た。ベレンからの道程は、緑と赤土の大地を切り裂くようにひたすら続く。雨季から乾季に差し掛かっているが、時折ぬかるみを避けながらバスは走る。 物売りの喧騒を耳にし、賑やかな佇まいになったかと思うと、そこは河口の街並み。 向こう岸まで牽引船が引っ張るフェリーが濁流の河を行ったり来たりしている。 1時間ほど待っただろうか、フェリーで河を渡ると、さらに延々と続く大地。八十数年前に初めてこの地を訪れた先代の方々の想いを偲ぶ。

トメアスの街は、広大な原始林の中にしっかりと根付いている。長年の努力と苦労から育まれた経験と知識が今に生かされている。胡椒一辺倒の農法から、アサイ、クプアスといったアマゾン原産の永年作物を陰木を複合的に栽培することによって、まさに新時代を迎えている。広大なジュース工場には巨大なコンテナが横付けされている。目の前にある凝縮された熱帯果実が世界各地の食卓に届けられているかと思うと幸せな気持ちになる。

トメアスの驟雨は一瞬のうちにやって来る。果実畑を見せていただいていると、遠くの空に暗雲が一気に広がった。「そろそろ、来ますかね。」ぽつり雨の中、畑道を駆け、近くの民家の軒先をお借りして雨宿り。激しいにわか雨が一気に大地を潤す。アマゾンの森林生態がここにある。そして、ここではアマゾンの自然の摂理に調和した農法を実践している。自然と闘ってきた先代の方々と、それを忠実に受け継ぐ今を支える方々の絶え間ない切磋琢磨の結晶である。

トメアスはアマゾンにおける日本人の故郷である。ここには昭和初期からの日本の文化と伝統が脈々と受け継がれている。お会いした方々は、謙虚にしてきちっと一本筋の通った逞しさを兼ね備えておられる。自然という如何ともし難い難敵と常に対峙しながら、決して逃げることなく正面から立ち向かう潔さが漂っている。 ブラジルにおける日本人の原点がここにある。先代からの艱難辛苦と絶え間ないご努力に改めて畏敬の念を表したい。(ブラジル日本商工会議所 相互啓発委員長 安田篤)

豊富な資源開発に挑むパラー州の訪問

5月27日、22時半、定刻通りベレン空港に着陸、やはりサンパウロに比べれば蒸し暑い!宿泊先の快適なホテルでシャワーを浴び午前0時に就寝、翌朝6時に目が覚め、珍しい特有な果物がカフェーダマニャンの食欲を誘ってくれた。

世界5位の埋蔵量
7時半ホテルを出発、約2時間後にバルカレナのアルノルテ、アルブラスの工場に到着、工場概要の説明を受けた。広大なアマゾンでアルミの原料であるボーキサイトの鉱床が発見されたのは今から約半世紀前の事だ。ブラジルはアフリカのギニア共和国、オーストラリア、ベトナム、ジャマイカ、に次ぐ世界第5位の埋蔵量を誇る。

日伯の絆 ~大規模資源開発(ナショナルプロジェクト)の歴史~
アマゾンアルミは日伯の経済協力の象徴的な資源プロジェクトである。私の単身渡伯は丁度、世界有数のボーキサイト鉱床の発見だと騒がれた時期に重なる。7年後の1974年、田中総理が來伯、エルネスト・ガイゼル大統領と国家経済開発の一環としてアマゾン地域開発のため豊富な水資源を利用、水力発電所及びアルミニウム精錬計画について討議、年産60数万トン規模に及ぶアルミニウム精錬計画の調査実施のための合弁会社設立につき合意したのが始まりだ。

それから2年後の1976年、ガイゼル大統領は関係閣僚や高官を帯同(当時、鉱山動力省の植木シゲアキ大臣も随行)、三木総理と会談、翌年度以降からアルミニウム工場建設に協力する共同声明書を発表。(その後のアマゾンアルミニウムの沿革などは当所のサイト参照)http://jp.camaradojapao.org.br/upload/files/2%20Nippon%20Amazon%20Aluminio.pdf

このように日本がブラジルに協力したナショナル・プロジェクトは1956年クビチェック政権時代のメタス計画に呼応、日本が50年代に官民挙げて取り組んだウジミナス製鉄所、ブラジルへの経済協力のモデルと言われた南米一のイシブラス造船所(90年代に撤退)、70年代に日本企業との合弁によるツバロン製鉄所(日本:川鉄=現JFE、ブラジル、イタリアの3国協力、2005年頃にJFE撤退)、日伯紙パルプのセニブラ、アルブラス、アルノルテ等々が設立され、同年代の後期に推進されたセラード開発などが代表的なナショナルプロジェクトとして知られている。(詳細:現代ブラジル事典2005年発行参照)

豊富な資源の罠に苦戦・苦悩する巨大産業の裏
長い間、電子産業を中心にミクロの世界に身を置いた者にとっては、特に70年代から次々に本格化した壮大なナショナルプロジェクトを脇から羨ましく眺めていただけに工場に辿り着くまで鼓動が鳴りやまなかった。

ジャングルを切り開いた工場を見学、赤褐色に染まったアルミナ精製プロセスは、一見石油化学コンビナートにも似ている。どのパイプがどこに繋がりパイプの中を何がどのように流れているのか説明を聞いても分り難い。構内をバスで見学したが余りの規模の大きさに圧倒された。 ようやくエレベーターを使い38メートルの屋上からアルミナの析出槽を眼下に、工場の全景を一望する事で感覚的に理解できた。

アルミナを電気分解、アルミの製造プロセスはその現場を観た人でないと実感できない珍現象にも遭遇した。その電解プロセスを見学した後に腕時計の分針は7分遅れていた。4V程度の低電圧下で何と18万アンペアの電流が流れている。大きなボルト・ナットでも鉄製の構造物にカチンと大きな音を立てて吸着される強い電磁場の中に身も時計も曝されていたからだ。

さらに驚かされたのは人口150万人都市ベレン市の電力消費量が700MWhに対し、このたった1つのアルミ工場だけで800MWhの電力が消費されている。電力コストが製造コストの何と40%を占めているそうだ。今までアルミ製造に詳しい専門家達から良く「アルミは電気の塊」と聞かされて来て頭では分かっていたつもりであったが、電解炉を前に痛切な悩みを聞き入り一応・納得はできた。

しかし、豊富な水資源を利用し水力発電が可能な地域で且つ膨大な埋蔵量を誇るボーキサイトを手元で産出しながら、何故アルミ製造に必要な電力をそっくり売電した方が儲かるコスト構造にはどうしても理解し難い。本末転倒、パラドックスそのものと言わざるを得ない。

アルミ事業から撤退或は売却に追い込まれた同業他社の実例を聞き、如何なる理由があれ、国家の安全保障の一つを担うエネルギー・インフラの整備は最優先課題として取り組まなければならないはずだ。

同じ事が400~600億トンの埋蔵量を誇る鉄鉱石についても言える。中国に輸出された鉄鉱石が鋼材や鉄鋼製品の形等で逆流、貿易収支を脅かし製鉄産業も競争力を失いつつある。「神様はブラジル人」と手放しに喜べない。資源の罠に陥った国家的な喫緊課題と言えそうだ。(ブラジル日本商工会議所 事務局長 平田藤義)

■三日目:州政府との交流と現地スーパー訪問
最終日は、メンバーの半数近くが夕方の便でサンパウロに戻ることになっている中で、午前中は州知事表敬組と州のサイエンスパーク視察組に分かれて行動を開始した。表敬組メンバーは梅田大使をはじめとする外務省、経産省そしてジェトロ所長で一行は知事公舎に集合して会合を持った。サイエンスパーク視察にはそれ以外の全員が参加した。

昼は、ジャテーネ知事ら幹部をお呼びした50人規模の昼食交流会がパラ料理店REMANSO DO BOSQUEで行われた。その席で州知事は政府の幹部を一人ずつ紹介し各テーブルでは日―パラの人的交流に花が咲いた。料理の内容は、地元で採れる魚や果物の素材を使ったトロピカルかつエキゾチックなもので、サンパウロではなかなか味わえない味覚に参加者一同が舌鼓を打った。

午後の経済セミナーは州政府のご好意で急遽会場を政府公舎に変更し、格式ある会場で行われることとなった。ミッションメンバーが少し早めに会場に到着してみると、会場入り口ホールでは、華やかな民族衣装を纏った踊り子たちが音楽に合わせて舞踊を披露し、我々の到着を歓迎してくれた。冒頭、日本とブラジルの国歌が吹奏され厳かな雰囲気の中で経済セミナーは始まり、代表挨拶の後、ジャテーネ州知事が熱のこもったプレゼンテーションを行った。内容的には3月にサンパウロで行ったものとほぼ同じと言う印象だったが、知事自らの企業誘致にかける熱意はメンバーにも伝わってきた。今回は何よりもメンバーが知事と知り合いになれたことが一番の収穫である。

夕方、セミナーが終わると当日帰宅組を送り届けるためにバスはベレン国際空港に向かった。帰宅組を降ろした後は、残ったメンバーで市内のスーパーY.YAMADAを買い物を兼ねて視察。メンバーの店舗訪問を知ったオーナーが従業員を待機させていて訪問一同は恐縮した。店舗は思っていたより大規模でサンパウロで売っているものは大抵棚に並んでたので、改めてブラジルの国内物流の良さに感心した。日本人に馴染みが深くてここに無いものと言えば乳酸菌飲料のヤクルトくらい。メンバーの中には、初日のトメアス農協訪問時に試飲したアサイジュースとスーパーの試飲コーナーのそれとを試飲比較するメンバーもいた。アサイ由来と言えば、お土産に貰ったアサイビールはここに有って、サンパウロには無い物の一つか。その他もろもろ、現地の人々の生活を感じることができたスーパー訪問は収穫が大きかった。(終) (ジェトロサンパウロ事務所 所長 石田 靖博)

各種プレゼン資料

1- GOV Apresentação SP – Japoneses -2015 v_Final (3)

2- ACP OK apresentação japão 1.1 ingles

3- FIEPA – Pará Investimentos

4- Instituto SENAI de Inovacao em Tecnologias Minerais

5- FRUTA FRUTA_2015.05.29_Para mission seminar

6- ADM Seminário Japão-Pará, Terra de Oportunidades

7- Pará e JICA 50 anos de confiança

写真提供 : ジェトロサンパウロ事務所

 

 

https://camaradojapao.org.br/jp/?p=40760