CIR 039/13
2013年4月23日
会員各位
ブラジル日本商工会議所
異業種交流委員会
委員長 江上知剛
異業種交流委員会講演会のご案内
ブラジル日本商工会議所異業種交流委員会の講演会を下記の通り開催致します。
皆さんの参加をお待ちしています。
記
講演者: 日下野良武氏 (ジャーナリスト)
・ブラジル熊本県文化交流協会理事長
・日本海事新聞社ブラジル通信員
・日本農業新聞特約通信員
・熊本学園大学招聘教授
詳細は添付を参照ください。
演題 : 【我ブラジルジャーナリスト人生(40年の軌跡)】
講演の後、皆さんと親しくご歓談頂く時間を用意しています。
日時 : 5月9日(木) 19時~21時
場所 : ブラジル日本語センター(CBLJ)
Rua Manoel de Paiva 45 Sao Paulo
Tel (11)5579‐6513 ・ 5579‐7337
参加費: 30レアル
食事及び飲み物(ビール、ソフトドリンク)を用意します。
参加費は当日徴収させて頂きます。(必要な方には領収書も用意します。)
食事他を用意する関係上、参加申し込みされた方で当日欠席された場合は後日、参加費を徴収させて頂きます。
お申込み: 5月7日(火)までに事務局宛お申込みください。
(ブラジル日本商工会議所 担当ALICE secretaria@camaradojapao.org.br
Tel:3178-6233)
以上
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<講演者紹介>
氏名 日下野 良武 (くさかの・よしたけ)氏
生年月日 昭和18年(1943年)8月5日
本籍 熊本県熊本市
<履歴>
昭和42年3月 熊本商科大学(現熊本学園大学)卒業
昭和42年4月 熊本日産ディーゼル株式会社
昭和44年4月 明萌企画株式会社(東京)企画課長
昭和46年3月 サンパウロ新聞社東京支社長
昭和57年4月 サンパウロ新聞社常務取締役
昭和60年12月 サンパウロ新聞社専務取締役
平成 5年1月 サンパウロ新聞社を離れた後、フリージャーナリストになる
<現 職>
ジャーナリスト(ブラジル・サンパウロ市在住31年)
<現在、その外の主な肩書は以下の通り>
◎ブラジル熊本県文化交流協会理事長…<1983年5月~94年1月まで理事。一時退会後、95年2月理事長就任~現在> *08年熊本県人ブラジル移民100周年・同協会創立50周年記念事業実行委員会委員長<04年7月~09年1月まで>
◎日本海事新聞社ブラジル通信員…<1998年6月~現在>
◎日本農業新聞特約通信員…<2006年~現在>
◎熊本学園大学招聘教授…<2011年4月1日就任~現在>
・ブラジルゲートボール連合副会長<1997年~2011年1月まで5年間>(1985年第1回親善訪日使節団引率。1988年第3回世界選手権ブラジル大会開催招致)
・ブラジル日本語センター副理事長…<1998年~2012年3月まで14年間> *(『ふれあい日本の旅』団長・05年7月第1回《39人学習生徒引率》、08年7月第2回《43人引率》)
・JICA(国際協力機構)広報アドバイザー…<2011年10月1日~13年3月31日>
<賞>
平成7年12月2日 日伯交流功労者として京都ブラジル文化協会から感謝状を受ける。(平成8年7月、12月京都外国語大学で集中講義担当)
平成8年1月 第13回武本文学賞(随筆部門)佳作受賞
平成9年3月 第14回武本文学賞(随筆部門)受賞
平成14年7月12日 「ブラジルゲートボール連合」(会員約4千人)からブラジルにおけるゲートボール普及・発展にジャーナリストの立場で貢献したとの理由で感謝状を受ける。
平成18年10月20日 「世界ゲートボール連合」(本部・東京)の創立20周年を記念し、普及功労者として表彰楯を受ける。
平成19年10月11日 長年、ブラジルと熊本の交流に尽くしたとの理由で、熊本日日新聞社関連の公徳会から「第五回公徳賞」(記念楯と副賞金)を受賞。熊本日日新聞には毎月2回、サンパウロからブラジルのニュースを30年間送信し続けている。
平成21年5月25日 熊本城復元整備基金に協力金を個人寄付し、幸山政史熊本市長から直接感謝状を受ける。
平成24年11月14日 熊本日日新聞のコラム記事「ブラジル便り」を30年間連続送稿したことに対し、熊本日日新聞社伊豆英一社長から直接感謝状と副賞金を受ける。
<現在定期執筆中の新聞>
十勝毎日新聞 「imaワールド」 <コラム記事>(毎月2回)
平成13年7月からブラジルで活躍する十勝出身者の紹介を中心に、地球の反対側のホットニュースを送稿。日刊10万部。連続掲載11年間。
日本海事新聞 「ブラジルだより」 <コラム記事>(毎月3回)
平成10年6月から南米における造船、港湾、物流に関するニュースを送稿。日刊6万部。14年間連載中。
熊本日日新聞 「ブラジル便り」 <コラム記事> 昭和57年10月6日の寄稿から現在まで(毎月2回)。30年間掲載中。これは同新聞のコラム最高記録。
沖縄県とともに移住大県といわれる熊本県へ、ブラジルの近況を随時掲載の形で30年間にわたって送付。今日まで約500本の記事送信。日刊35万部。
日本農業新聞 「ブラジル農業便り」<コラム記事>毎月1回送信。
平成18年11月、掲載開始。ブラジル・日本間の農業トピックスおよびブラジル農業の現況など。全国紙日刊40万部。6年掲載。
<その他の不定期送稿新聞>
「河北新報」 、「上毛新聞」 、「神奈川新聞」 、「長崎新聞」
<著書>
『石川島ブラジル造船所の歩み』(単)熊本商科大学中南米事情研究所刊(昭和41年9月30日)研究資料・第7集。学生時代に7か月間リオデジャネイロの石川島ブラジル造船所で実習し、帰国後に書きあげた同社の歩み。
『サンパウロからボンディーア』 (単)毎日新聞社刊(平成元年10月30日)
地球の反対側から「ボンディーア」(おはよう)。自然大国ブラジルは貧しいけれどあったかい。サンパウロ在住8年の新聞人が綴るデッカイ話、ビックリ話76。ところどころにユーモアを混ぜて語るエッセイ。(四六版、214ページ)
『オイ!ブラジル』 (単)毎日新聞社刊(平成4年2月25日)
「サンパウロからボンディーア」の続編。(四六版、213ページ)
『ブラジルに魅せられて』 (単)毎日新聞社刊(平成6年4月5日)
「サンパウロからボンディーア」、「オイ!ブラジル」に続くブラジルエッセイの3部作
完結編。(四六版、197ページ)
『ほほ笑めばブラジル』 (単)毎日新聞社刊(平成8年12月)
エッセイの3部作のまとめ本。加筆は約3分の1。(四六版、205ページ)
『ブラジルからの熱い風』 (単)ベースボールマガジン社刊(平成9年11月30日)
サッカー王国雑学ノート。連載を単行本(185ページ)にまとめた。
『朝からブラジル!』(単)毎日新聞社刊(平成15年6月20日)
日本に住むブラジル日系人就労者は27万人といわれる。それに合わせ、初めてふんだんに写真を挿入した新しい日本とブラジルの文化比較論。(237ページ)
『女たちのブラジル移住史』(単)毎日新聞社刊(平成19年8月31日)382ページ。 移民100周年を記念して、ブラジルへ移住した女性それぞれ6人が執筆した600枚の原稿をまとめて監修し、出版。「はじめに」と「あとがき」を執筆担当。ブラジルに移住した女性だけが執筆した本は初めて。
『ベイジャフロールの国へ』(単)自費出版(平成12年発刊)
ブラジル・ヤクルト株式会社の創設者である故若林輝夫氏のバイオグラフィー執筆。「ベイジャフロール」とは南米に生息する蜂鳥のこと。限定版2000部。
<評論・随筆>
「ワールドカップ、ブラジル4度目の優勝」 (単)週刊サッカーマガジン(ベースボールマガジン社)平成6年8月。サッカー世界一を決めるW杯でブラジルが初の4回優勝を達成。その折のブラジル国民の表情をレポート。(A4、5ページ)
「セナとホンダ」 (共)月刊エグゼクティブ(ダイヤモンド社)平成6年9月号~12月号まで(4回シリーズ)。1994年5月1日に事故死したアイルトン・セナとホンダとのかかわりをレポート。(共同執筆につき本人の担当部分抽出不可能)(A4、4ページ)
「ブラジルの豪華列車」 (単)鉄道ダイヤ情報(弘済出版社)平成7年5月号。サンパウロ市とリオデジャネイロ市をむすぶトレン・デ・プラタ豪華列車をレポート。
(A4、6ページ)
「ブラジルのソフトボール事情」 (単)ソフトボールマガジン(ベースボールマガジン社)平成10年1月。400字×12枚、PHOTOも。5万部。
「ブラジルからの熱い風」 (単)週刊サッカーマガジン(ベースボールマガジン社)
平成6年~12年までの6年間、一週おきに1ページのコラム記事を執筆。週刊誌43万部。
「ワールドキャッチアンテナ」 週刊サッカーマガジンのコラム記事。平成14年6月末~7月末(1か月間) 10回シリーズ W杯日韓共同開催の期間中、ブラジルの国内の様子をレポート。ブラジルは5度目の優勝で沸き返った。
「ロビーニョを生んだ街角」「AERA」(朝日新聞社刊)同誌のサッカーW杯特集号に4ページ(+2ページ「日本代表の弱点」)ブラジルからのルポ。平成18年5月20日発刊。
「きずな」 熊本日日新聞平成19年元旦特集号。ブラジルの熊本県人「本永群起さん」のインタビュー記事。
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